一昨年の冬、とある場所で発生したウイルスによる疫病は瞬く間に地球全土に拡がり、無症状から重症まで症状は様々で、時には短時間での病状悪化で死に至るこの未知なる病は、数か月後には世界を恐怖に陥れた。
その年の初頭、翌年末日を以て5人でのグループ活動を無期限で休止するという宣言をした俺たちは、二年という時間の中で出来得る限りの至誠を尽くし、これまで自分たちを支えて下さった方々へ恩返しをしていこうと決めた。
年末までに全50公演というこれまでにない長期ツアーを終えて、年が明ければ一年間、全力疾走するつもりでいた。
『絶対、後ろには退かない。遣り残しのないよう、常にチャレンジ。前進あるのみ。』
個人のモットー、チームとしてのスローガンとして掲げていざ、大海原へ。
昨年の夏は新国立競技場でオリンピックが開催される予定で、先駆けて五月には俺たちが7年ぶりのアラフェスを行うつもりで準備を始めていた。
それ以外にも海外でのコンサートや、休止前最後のアルバムとそれを引っ提げたツアー、大晦日の配信によるコンサートも予定されていた。
国内のこれまで行ったことのない地でのイベントも当初の計画にはあった。
だけど、それら全てが中止もしくは延期を余儀なくされどんどん俺たちの中にあった計画が崩れ、新たに練らなければならなかった。
それは一度や二度では収まらずその都度修正をした。その度に何かを削らざるを得なかったが、それでも諦めきれず、それ以外の方法はないのかと何度もギリギリまで足掻くことも少なくはなかった。
松本においては決断当日の数時間前まで足掻くことさえあった。
計画していたことの殆どが出来なくなり、その分時間が出来た。
自分たちには限られた時間しか残されていないのに、何もしない時間があることが勿体なくて、これまで行ったことのない分野の裾野を広げてみた。
きっかけは同級生とのオンライン飲み会での何気ない一言で、それをヒントに4人に話を持ち掛けたところ快く引き受けてくれた。
これが思いのほか評判が良くて、演じていた自分たちも童心に戻って楽しむことが出来た。
SNSを開設したのは別の目的だったけれど、これを有効活用できたのも大きかった。
その後一度は延期したアラフェスも、再度決断を迫られた。
年末までのイベントを考えると再延期はない。今までならアルバムを出したタイミングで始まるツアーもなくなった。
リスクを考慮した上で観客を入れるのか、中止か。
自分の気持ちを押し通すなら、やりたい。
これから暫く見ることの出来ない特別なあの風景をもう一度この目に焼き付けたい。
大晦日のライブは配信が決まっているから、会場を埋め尽くすペンライトの海とオーディエンスが発する熱気とコール&レスポンスの手応えを直接味わえないことは決まっていた。
だからこそ、アラフェスは唯一の砦と言えるものだったのに…。
諸々のリスクを考えれば自ずと答えは出た。
誰もが同じ答えを持っていたけれど、誰もそれを口にすることが出来ず重苦しい沈黙が会議室を包んで時間だけが過ぎていく。
一言。たった一言で片が付く。
けれどその一言は何よりも重くて。
言えば終わる。逆に言わなければ終わらない。
やりたいのに、やれないと言わなければならない。
その決断が悔しくて、歯痒くて。
気がつけば、諦めきれない気持ちを独り言のように呟いていた。
みんなの視線が一斉に注がれたことで自分が何を口走ったかを知った。
結果として、観客や演者、スタッフの安全を最優先するという形で無観客での配信ライブを開催することで落ち着いた。
丁度その頃、年内で一区切り着けて終わる番組内で1人ずつにスポットを当てることになり、スタッフから思い出の品を用意して欲しいと求められた。