この後、俺たちはのんびり観光してハワイを満喫、なんて余裕もなく即帰国の途に就かされ、あっと言う間に母国の土を踏んだ。
 

 

智くんに至っては、ハワイ旅行のご褒美だと思っていたようで社長に騙されたと暫くの間、ずっと怒っていた。
 

 

俺は俺で、帰国早々待ち受けていたテストが思うほど答えられず心配していたが、なんとか及第点に落ち着き、今後に繋げることが出来て心底ホッとした。
 

 

 

一番最初にこの話を頂いた時は、事務所の会議室や練習室などではなく下北沢の踏切待ちをしている時だし、その上、面と向かってではなく電話越しだし、期間限定ユニットだと思ったから学生時代の思い出作りの一環にでもなればぐらいの軽い気持ちで参加したことを後悔するぐらいきっちり仕上げられているプロジェクトだと気づいた頃には時既に遅し。
 

まさかこんな大事になっているとは思いもせず、あれよあれよという間に一歩も退けないところまで来ていた。
 

 

果たして今までのような学業との両立が出来るのか、不安は大いにあるし、デビューした以上結果は求められる訳で、そこの基準値もクリアできるのか不安で、とにかく不安だらけだった。
 

 

元々、ジュニア時代から出来た結束が強いグループじゃないから意思の疎通だって図れない。グループはおろか自分自身の将来のビジョンさえ持ってない。誰が舵を握るかも決まってない。頼りないことこの上ない。
 

それでも、不安だろうがなんだろうが俺たちはもう世間に『嵐』として大々的な告知をしてしまったのだから進むしかない。
 

 

こうして五人を乗せた『嵐』という船は1999年9月15日、明確な目的を持たず漠然とした夢を掲げ、とりあえず大海原に乗り出した。