衣装室の順番待ちの為僕と笑さんは控室に誘導され、部屋に着くなり笑さんから何発も腕にパンチをくらった。


「もうっ!マサキっ!!もうっ、バカっ!!あんな演出聞いてないんですけどっ!!」
「いたっ。痛い痛い痛いですって、笑さん」
「笑いながら言うんじゃないっ」
「いったっ!!」
 

右上腕部に非力なパンチをくらったところで本当は痛くも痒くもないんだけど、わざとらしく痛がったら、最後の一発は本気の重いのが来た。


「笑さんのパンチ重っ」
 

完全に気を抜いていたから、思った以上に続く鈍い痛みに何度も腕を擦る。


「…ごめん。大丈夫?」
「大丈夫ですよ」
 

申し訳なさそうな笑さんが僕の腕を撫でるように優しく擦ってくる。
今にも泣きそうな顔してる笑さんをこれ以上責める気もない。


擦っていた手が止まり、僕の肘を持っていた左手がキュッとそこを摘まんだ。


「…笑さん?」
「…マサキ、ありがとう。マサキが考えてくれたんでしょ、あの演出。櫻井くんから聞いたよ」
「え…」
「私、嬉しかった。お父さんと一緒に歩けて。本番待ってたらいつになるか分からないからって、お父さんも喜んでたよ」


これでちょっとは親孝行出来たかなあなんて、瞳を潤ませながら笑さんは笑った。


「櫻井さん、いつ来たんですか?」
「え?あー、マサキが出て暫くしてからかなあ。私がここを出てスタンバイしてる時にお父さんを連れて来てくれて、お父さんも直前まで知らなかったみたいで急に呼ばれて着替えさせられてびっくりしてたよ。それで、入場のちょっと前に持ち場に戻るって帰って行ったんだよ。その時にマサキが提案したって聞いたの」



僕が出て暫くってことは、マリエさんは!?


病院まで付き添わなかったのかな。大丈夫だったのかな。


式の最中、姿を見かけなかったからてっきり一緒なんだと思っていた。



あんな事があった後だから、いるはずがないのに、いちゃいけないのに、もしかして…なんて淡い期待をしてしまった僕がいた。

 
僕の姿を見てくれるんじゃないか。そう思って気がつけば、どこかにいるんじゃないかと何度もその姿を捜していた。


だけど見つかることはなくて、そりゃそうだよね、マリエさんが大変な時にこっちにいるわけないと自分を納得させたのに、そんな早い段階で仕事に戻ってるとは思わなかった。

 

 


 

「お待たせしました。女性用衣装室空きましたので行きましょう」
「あ、はーい」

 
笑さんがドレスの脇を摘まんで部屋を出て行き、僕は一人になった。
 

 


 

 

 

カリッ…。
 

 

 

 

 

しょーちゃんが仕事人間なのは分かってた。
 

 

 

 

 

カリッ…。
 

 

 

 

 

だけど、まさかこんな時まで仕事を優先する人だとは思っていなくて、どんどんしょーちゃんと言う人が分からなくなっていく。
 

 

 

 

 

カリッ、カリッ。
 

 

 

 

 

どんどん僕の知ってるしょーちゃんとかけ離れていく。
 

 

 

 

 

カリッ。
 

 

 

 

 

悔しくて、悲しくて、腹立たしくて。
 

 

 

何が悔しいのか、何で悲しいのか、何に腹を立てているのか、それすらも分からない。
 

 

 

 

 

パキンッ。
 

 

 

 

 

「…あ」
 

 

 

音の直後に痛みが走り、ぼんやりと見て呟いた。
 

 

 

 

 

 

「爪…折れちゃった…」

 

三日月みたいな形に折れた爪の先が反って、指と爪の間にぷくりと赤い粒が浮かんできた。