「俺さ、今の自分にあるものは『嵐の大野智』で得たものしかない気がすんだ。

 

歌って踊るのを見てもらって、絵を描いて作品を創れば個展まで開いてもらって…、

 

これは全部『嵐の大野智』だから出来たんだと思う。

 

嵐だから許されてることって実はいっぱいあんじゃねぇかな。じゃあ今、俺が嵐じゃなくなってただの大野智になったら何が残るんだろうと思って考えたんだ。

 

 

そしたら何も思いつかなくて。

 

 

ただキャーキャー騒がれるだけで、嵐を離れた自分には何もないって思ってさ。

 

世間一般の普通の38のオッサンが何やってっかなんて誰も興味なんてないじゃん。

だから俺もそんな風に普通の生活がしてみたいって思ったんだ」

 

 

突然、嵐を畳みたいと言った智くんが説明した理由はこうだった。

 

 

智くんが望む『普通の生活』が、具体的に何をさすかは詳しくは分からない。

 

そこは本人もその時点ではまだ漠然としていて、とにかく今はこの喧噪から遠ざかりたいのだと言った。

 

 

本人は10代半ばでこの生活にどっぷり浸かったので、大半の人が経験してきた学生生活を中学までで終えている。

 

そこに関しては本人曰く、勉強がしたいわけではないのでそれに対して心残りがあるとかではなかった。

 

主に日常生活に於いて普通の生活を望んでいるようだけど、たとえ今嵐を辞めたとしてもそれは難しいように思えた。

 

 

智くんが思ってるより『嵐』という存在は世の中に浸透している。老若男女問わずして名前と顔が一致せずとも、5人の認知度は確実に高い。

 

有難くもファンではない人たちでさえ、嵐を知っていて下さる。

 

自分たちの意識としてではなく、世間の認識として『嵐』と言う名の大きさは今や相当なものだ。

 

 

そんな中『普通』にカフェでお茶をする。外食をする。服を買う。買い物をする。帽子や眼鏡など小細工なしで外に出る。

 

これらを人の視線を感じずにいることは全部無理だ。

 

こちらがその視線を無視することは可能だけど、『見られない』こと自体は不可能だ。

 

 

俺自身は電車にも乗るし、ツレと食事に行くこともあれば遊びに出かけることもあるし、買い物だって自分で行く。

 

だけど、見られなかった日は『ない』。

 

必ずどこかで誰かの視線を浴びる。時には声を掛けられることもある。

 

ただ俺はそれ自体を存在して無いものとしてスルーしている。さすがに声を掛けられれば対応するけれど、見られているだけならばそれは無視する。

 

空気と同じだと思うようにしている。

 

 

ようはそこに対していかに自分が鈍感になるか。

 

見られていることを意識し過ぎてしまってはどこにも行けないし、何も出来ない。極端な話、ひきこもる以外人目を避ける方法はない。

 

 

智くんはいなくなればすぐに忘れられるだろうなんて思っているようだけど、甘いよ。

 

一度『嵐』になって顔が覚えられた以上、どこに行っても何をしても、『嵐』であった過去はついて回る。避けようがない。辞めたところで『元』と肩書きがつくだけで、意味はない。見られなくなることはない。ヒソヒソされることもすぐにはなくならない。

 

それならいっそ堂々と嵐の一員として日常生活を送る方がマシなのではないか、と言う話し合いを重ねたがなかなか智くんは首を縦に振らなかった。

 

 

何度目かの話し合いで事務所の方から解散や脱退ではなく、休止という形はどうかと打診されて、それまでは頑なだった智くんの意思が少しだけそちらの方へ傾いた。

 

智くん自身は自分の勝手な申し出だからと、グループを抜けるだけではなく、事務所を退所することも考えていたらしいので、まさかそんな選択が許されるとは思わなかったらしい。

 

だけど、休止期間中だから何をしてもいいと言う訳ではない。休止中だから恋愛や結婚が許されるかと言うと、それもすんなりいくとは限らない。

 

智くんの言う『普通の生活』にどこまでが含まれるのか、答えが出るまでに時間を要したが、俺たちに出来ることは待つことだった。