どうして…。
どうしてこの人はこんなにも、僕のことを。
瞬きすることも忘れ、じっと見つめていた。
不躾な視線を飛ばしているにも拘わらず、二宮さんは優しい顔をしてくれた。
「俺ねえ、特定の人間に執着するのは面倒だと思って生きてきたのよ」
事もなげにさらりとすごいことを言ってのけた二宮さんは更に続ける。
「俺はずっと、誰かに必要とされるにはそれなりの資格が必要だと思ってた。だけど特別な才能も取柄もない自分には資格がないと思ってた」
「才能や取柄…」
「たとえば、大野さんみたいな芸術的な才能や、櫻井みたいなクソ真面目さは俺にはないものだから、だから俺は誰かの隣に並ぶ資格がないと思ってた」
率直に、僕がしょーちゃんに感じていることと似ていると思った。
僕は、しょーちゃんの隣に並ぶためにはどうすればいいのか考えて、考えた結果、この仕事で名を挙げてしょーちゃんにとって相応しい人になろうと決めた。
それって、今、二宮さんが話してくれていることと同じなんじゃないだろうか。
「大野さんは、『出来る・出来ない』じゃなく、『やるか・やらないか』で判断をする。櫻井も似たようなところがあると思うんだけど、相葉くんからは櫻井はどんな風に見えてる?」
「…しょーちゃんは…」
僕の知ってるしょーちゃんは…。
「出来ないとか、やらない、って選択肢は聞いたことない気がします。いつも何かと闘ってる人、です」
「確かにあいつは諦めるってこと知らないね」
辞めるって選択肢ねぇのかな。って僕の答を聞いた二宮さんは笑った。
「そう言や昔、『自分のせいで出来なかったなんて他人の逃げの言い訳には使わせねぇ』って言ってたっけな」
どんだけ負けず嫌いなのよアイツ。
そう言いながらも、少しだけ目を伏せてかつての日を懐かしむように笑っている。
甘やかさず、自分に厳しい、すごくしょーちゃんらしい言葉だなって思った。
「それを聞いて、ああ、俺はこの2人とは全く人種が違うんだなと思ったのよ。どんな風に生きて来たらこんな考え方が出来るんだろう。その自信はどっから来てんのか不思議で仕方なかった。だって俺には自分を信じられる要素がないんだもん。だから俺にはあの2人が眩しくて仕方なかった…」
膝を抱えて座っている二宮さんが、僕の姿に重なって見える。
いつだって自信満々で堂々としているしょーちゃんと、自分に自信が持てなくて卑屈な僕。
「そしたら大野さんがさ、あの人が見てるものを一緒に見ようって言ってくれたんだ。…嬉しかった。けど同時に、怖かった」
左手の薬指の付け根で光る指輪に触れながら、その心の内を明かしてくれた。
「最初に指輪をもらった時は、大野さんのパートナーとしての資格証だからと思ってつけっぱなしにしてたんだ。あの人の特別になりたくて、特別になれたのにこれを外すとその資格をなくすような気がして怖くて、自分では外せなかった。かと言って、大野さんからいつ外せって言われるかそれもまた不安で、結局、全然安心できなかった」
言いながら二宮さんは、左手の指を開いて顔の高さに翳し、曇った表情のまま眺めている。
心の拠り所になれるはずの物が、更なる不安をもたらす物になってしまうなんて皮肉な話だ。
「ある日、それを着けたままの素手で衣装に触ってしまって、ひっかけてしまった。繊細な刺繍やレースとかはほんの小さなミスが命取りになるって分かってたはずなのに。今までだって散々触れてきたけど、ホテルにいた時は指輪をして仕事した事なかったから頭の中では分かってたはずなのに、実際には分かってなかったんだ」
広げていた手を、ぐっと握り込んでその上から右手を重ねた。
確かに、衣装に触れる時は基本的にアクセサリーは着けないか、もしくは手袋をして触れることが大前提だ。
二宮さんが言うように細かい刺繍やレースを使った生地は、時には荒れた指で触れるだけでもひっかけてほつれてしまうことがある。だから取り扱いには細心の注意を払う。
「たまたまレンタル下がりのうち所有の衣装ではあったけど、もしこれがお客様の持ち込み衣装だったらと思うとゾッとするよね。滅多に怒ることのない大野さんにめちゃくちゃ怒られたよ。婚礼衣装や宮参り、七五三の着物ってさ、親から受け継いだり、代々継いできたものだったりっていうのが少なくないのよ。お客様が気に入って持ち込んでくるんだから、それをうちが一切汚したり破損させるわけにはいかないんだってことを頭に叩き込め。って」
ユーザー側からすれば、思い入れのある衣装を他人に汚されたり傷つけられたらたまったもんじゃない。相手がそういったものの取り扱いに慣れた業者であるなら尚更だ。
「その場で指輪を外したよ。めちゃめちゃ勇気がいったけど、迷っちゃダメだと思った。これがなきゃ仕事が出来ないなんて、目の前に大野さんがいるのに、大野さんより指輪を信用するなんてどう考えたっておかしいもんね。俺はいつの間にか、指輪という形あるものに依存してしまってたんだ」
そして、指輪を外したところで当たり前だけど大野さんのパートナーであることに変わりはないと実感できたので、それ以来外すことが怖くなくなり、抵抗もなくなったと言った。
「…あの人は俺の言動にいちいち左右されるなんてことはない。だけど俺は、まだあの人の言葉ひとつで彷徨うんだよ。あの人に嫌われることが何より怖いんだ…」
俯いて小さな体を掻き抱くようにすることで二宮さんの体がより一層小さく思えた。
「………」
なんて声をかけていいか分からなくて、とりあえず身を起こし、自分が今まで包まっていた掛け布団をそっと肩から掛けるとそれに気づいた二宮さんが首から上だけを振り返らせて顔を上げて僕を見た。
「…ごめん」
「いえ…」
少し乱れた髪が左側の顔を隠し、下側になった右側の顔だけでどうにか彼が笑ったのが見えた。
ううん。一見『笑った』ように見えたけど、本当は違うのかもしれない。そんな、哀しい笑顔。
「今日の相葉くんを見てたら、もう一人の俺みたいだなって。今の俺は大野さんが救ってくれたから、まだ弱いけど、何とか隣で立っていられる。だけど、もしあの時あのまま大野さんとの仲が潰えていたら、あの幸せはずっと続くんだと勘違いしたままの俺が真実に気付いた時、君のようになっていたのかもしれない。大野さんと俺は根本的な考え方が違うからこんな考えは理解できないと思う。だから俺は今の君の気持ちが理解できるような気がしたんだ」