「…ねえ」

 

 

二宮さんは僕がペットボトルから口を離すのを見届けてから声をかけてきた。

 

 

「櫻井となんかあったよね。じゃなきゃ、あんな風になんないよね」

 

 

たったあれだけで見抜くなんて、相変わらず鋭い観察眼の持ち主だなあ、なんて感心していた。

 

 

「何があったわけ?

 

 

なにが…。

 

 

 

一言で表すなら、『しょーちゃんと別れた』なんだろうけど、そうなったら今度はなんでそうなったかを説明しなきゃいけないだろうし、マリエさんや片桐社長の事も話さなきゃならないし、今はあまりその事について触れたくないっていうのが正直な気持ちで。

 

 

そもそも吐いたこと自体がその事と関係してるかは別問題かもしれないし…。

 

 

いくら親しいとは言え、しょーちゃんがどこまで二宮さんに話しているか分からないし、しょーちゃんだけじゃなく相手のプライバシーのこともあるから迂闊な事は言えないし。

 

 

 

色んなことがぐるぐるぐるぐる頭の中で巡って絡みまくっていて。

 

僕自身、まだ整理がついてないこともあって上手く説明する自信もない。

 

だから何があったのかと訊かれても、どこまでが話せる内容で、どこからがアウトになるのか分からない。

 

 

こんな時、しょーちゃんだったら隠すべきところは隠して、上手に話せるんだろうな…。

 

 

考えた途端、またじわりと涙が滲んで、慌てて顔を膝に押し付けた。

 

自分で自分の言葉に傷つくとか、バカじゃないの僕。

 

 

その時、それはそれは盛大な溜め息が二宮さんから放たれた。

 

 

「あのさあ、俺は櫻井みたいな出来た人間じゃないから相葉くんが落ち着くまで待つよとか、話したくなったら話してとか、俺で良かったら話聞くよなんて言う気は全くないんだけど」

 

 

相変わらず歯に衣着せぬ二宮節が炸裂する。

 

 

「何があったか知らないけど、そんな状態で本番ちゃんとやれんのかよ。これが最後の仕事なんだろ!?どんな時も万全の体勢で臨むのがプロってもんだろうが。そんなプライドも持ち合わせてないんならとっとと辞めちまえよ。オマエの為の仕事じゃねんだよ。自分一人でコケる分には好きにやったって構わない。だけどこれは大勢の人間が動くプロジェクトなんだ。いい加減にやられちゃこっちが迷惑なんだよっ!!

「ニノっ!

「……っ」

 

 

いつの間にかいなくなってた大野さんが戻って来てて、声を荒げる二宮さんの名前を呼ぶと、二宮さんは言葉を詰まらせた。

 

 

 

こういう所、二宮さんもやっぱりしょーちゃんと同じ側の人間なんだなあ、って感じる。

 

仕事に対して真摯に向きあって妥協を許さず、人にも厳しいけどそれ以上に自分にはもっと厳しいんだ。

 

 

「…この問題から逃げる逃げないはオマエの勝手だ。だけど話せないのなら俺らを巻き込まないで」

「二宮さん…」

 

 

そう言ったあと、くるりと背を向けた二宮さんは自分の目元らへんを触ってから、黙々と何かを作業し始めた。

 

 

大野さんは二宮さんの隣に寄り添い、そっと背中に手を添える。

 

そして僕の方を振り返り、大丈夫だよって笑う。

 

二宮さんの耳たぶがほんのり赤くなっているのが見えた。

 

 

 

これは二宮さんからのメッセージで、エールでもあり。

 

 

 

僕の勝手だと言いながら、その背中からは『逃げんなよ。ちゃんと向き合え』って聞こえてくる。

 

 

 

僕が話せば巻き込まれてやるって言ってくれてる小さなその背中はすごく頼もしく見える。

 

 

「二宮さん…僕、自分でも分からないんです。色んなことがあり過ぎて、僕自身もまだ混乱してるから上手く話せる自信ないですけど…聞いて欲しいです」

 

 

この背に縋ることが正しいかなんて分からない。でも僕が一人でこの問題を抱えるのはもう限界だった。誰かに聞いて欲しかった。だけど話すのが怖かった。だって答は聞かなくたって分かるから。これでいいんだよ、それが正解だよ。って言われるのは目に見えてるんだ。先の見えない真っ暗な道を歩くより、明るいお日さまの下を堂々と歩くことが正しいことだと言われるのを分かっていながら誰彼なく話すのは怖くて出来なかった。だから言えなかった。

 

 

本来縋るべき背を失った僕には、もうここ以外に縋れる場所はなかった。