開けっ放しだった玄関を閉めて寝室に戻ると、ごろんと仰向けに転がって顔の上に腕を置いて小さく苦し気に呻いていたから楽にしてあげたくて、ネクタイを緩めようと手を伸ばすと気配で分かったのか、空いているもう片方の手で手首を掴まれた。
あっと言う間に僕の体がベッドに沈み、世界が半回転してさっきまで見下ろしていたしょーちゃんを見上げている。
「…………」
無言で僕を見下ろすしょーちゃんには凄みがあって、向かって右に流れた前髪が左目を隠しているのに色気がダダ洩れてる。
その圧倒的な迫力に思わずコクリと喉が鳴った。
次の瞬間、僕はしょーちゃんの名を呼ぶ声を失った。
上衣の裾から大きな掌が忍び込むのと同時に首筋を音を立てて啄む唇の感触に反射的に背中が粟立つ。
ちゅっ、ちゅっ、と何度も首筋に吸い付いては離れを繰り返しながら、手は脇腹から徐々に上へと這い上がってくる。
「…しょ、しょーちゃ…?」
肩を強めに押しても叩いても気に留める様子もなければ一向に止める気配もなく、無言で、ひたすらまるで儀式のように繰り返される行為にだんだん怖くなってくる。
「や…、いやだ、しょーちゃん、止めて。ねぇ、ホントに一回止まってってば…っ」
ベロリ。
しょーちゃんの熱い舌が首を下から上に一気に舐め上げ、二本の指が胸の先を掠めた時、いつもとは違う感情を抱いた自分がいた。
いつもの僕なら、しょーちゃんの熱の籠った視線も、舌の熱さも、触れてくる手の温もりも全てが僕を昂らせるものでしかなくて、甘い声をあげているはずなのに、それなのにどうして今はこんなに触れられた場所全部が悲鳴をあげているんだろう。
全身で嫌だと拒否してくる。
「しょおちゃ…、マジで、イヤだ…ってば…」
コワイ。
ショーチャンガコワイ。
どうして。
粟立つはずの体が戦慄する。
しょーちゃんに触れられて嬉しいはずなのに、怖いと思うのは顔が見えないせい?
シャツが皺になるのも構わず、力いっぱい肩を押し返す。
僕の方が腕力はあるからいつもならしょーちゃんの方が力負けするはずなのに何故か今回はそうならなかった。
「雅紀」
逆にグッと距離を縮めてきたしょーちゃんの熱を孕んだ吐息と共に耳朶を打つその声は、僕の全身から力を抜くのに抜群の威力を発揮するはずだった。
この状況でその声は狡いと責めるはずだった。
今までなら。
なのに今日そうならなかったのは。
しょーちゃんから漂ってきた、むせ返るほどのアルコールの臭いとしょーちゃん自身の匂いと、しょーちゃんのものではない誰かの香りのせい。
しょーちゃんがしょーちゃん以外の香りを纏っている。
それが意味することは。
その人は香りが移るほど近くにいて、香りが残るほど長い時間一緒にいたということ。
今まで嗅いだことのない香りは大野さんや二宮さんのものとも違う、初めての香り。
僕の知らない誰かの匂い。
僕じゃない、他の誰か。
誰かが誰なんてどうだっていい。犯人当てなんてする気は更々ない。
しょーちゃんが朝帰りをして僕以外の人の香りを身に着けながら、何もなかったかのように僕を抱こうとしている。
それがすべて。それが現実。それだけで十分。
僕の中に微かに残っていた熱が一気に冷めていく。
「雅紀」
すっと長い指が僕の顎の下に入ってくる。掬い上げようとしてくるのを顎を引いて阻止した。