ジャニーさんの訃報が飛び込んできた一昨日の夜。

突然と言えば突然で、でも十分あり得たことでもあり。

ああ、そうか…。と思うものの、どこかでまたフェイクニュースかと疑う自分もいました。

 

 

急いでテレビのチャンネルを読売テレビへ合わせると、有働さんが事務所から

発表されたFAXを読み上げているところでした。

それでようやく、ああ、これは本当の話なんだ。と受け止め、現実であることを理解する為

色々調べていく内に、直後に発信されたのだと思っていたことが、実はそれは既に数時間前の出来事であることが分かり。

 

 

一夜明け、嵐の5人が収録中であったことが分かり、終了後5人が揃ってジャニーさんの元を

訪れたことをニノのコメントで知りました。

もしもこれが別の曜日であったなら5人は一緒にいなかっただろうし、

月曜日だったら翔さんはその事実を隠しながら番組に出演をし、情報解禁時間にその場にいたことになる。

そうしたら否応なく翔さんは触れなきゃいけないだろうし、思い出されるのはかつてZEROファミリーであった小林麻央さんが亡くなられた時のことでした。

 

 

あの時は24時間テレビの司会を後輩2人とすることになっていて、その為の制作発表だったかコメント録りの前の訃報で、しかもその晩には歌番組への生出演もあって、気丈に振舞う翔さんがあまりにも痛々しく、見ているのが辛かった記憶が蘇りました。

番組の放送時間によって時系列が入れ替わっていたので、24時間テレビの内容の方が先に放送されていて、そこでは通常営業の翔さんがいたから、まさか麻央さんを思い涙する翔さんのコメントの方が先に撮られていたなんて思わなかったし、

歌番組ではこれでもかと言わんばかりに何度も笑顔を見せる翔さんにプロ根性を見て、

無理して笑わなくていいから、とテレビ越しに胸を痛めておりました。

翔さんをはじめとする他の4人の鬼気迫る歌が麻央さんへの弔いに思えました…。

 

 

もし、訃報が月曜日であったなら、またあんな思いをしたのかもしれないと思うと、

火曜日で翔さんの出演がなかったこと、レギュラー番組の収録日で5人が揃っていられたことは私にとって僥倖であったのかもしれません。

人として生まれた以上、絶対にこの日は誰にでもやってきます。

それがこのタイミングだったのだと私は思っています。

これは私が嵐の、櫻井翔さんのファンだからそう思うのであり、他のグループのファンの方からすればきっとまた違う見方になるだろうと思います。

昨日だったら、明日だったら、あと〇日だったら…、それぞれの事情はお有りだとは重々承知しておりますが、どうぞ今回の私のこの思いに対してはご容赦ください。

 

 

何度も生死の境を彷徨うジャニーさんの元を訪ねては励ました子供たちが、グループの垣根を超えたくさんの思い出に花を咲かせる病室はさぞかし賑やかだったことでしょう。

きっとみんなJr.の頃の自分に戻って、デビューを夢見る純粋な少年たちがレッスン場でわいわいやっていたのではないでしょうか。

きっとジャニーさんにその声は届いていたと思います。

深い眠りの中で、ずっとその声を聞いていたことでしょう。

 

 

私が初めてジャニーズのタレントを認識したのはたのきんトリオで、

初めて買ったレコードは光GENJIで、初めて行ったコンサートは嵐でした。

子供のころから今まで、ずっと芸能界にジャニーズのタレントがいるのが当たり前の世界です。

きっとこの先もジャニーイズムを引き継いだ子供たちが滝沢社長の下で育っていくことでしょう。

今までは体が一つしかないから、一つの場所にしか行けなかったけれど、これからはどこにでも自由に動き回れるようになったことですし、たくさんの子供たちの晴れ舞台に足を運べますね。

コンサートに、舞台に、日本に、海外に、どこにでもジャニーさんが行けるようになり、

みんな観に来てくださることを楽しみにすると思います。

 

 

きっとジャニーさんのことだから空の上でもたくさんの原石を見出して新たなジャニーズ王国を築かれるでしょう。

そして、いつか時が来てジャニーさんのもとを訪れる最愛の子供たちがまたジャニーさんの子供として集える場所を創って待っていてくださることを願ってやみません。

 

 

ジャニーさん、たくさんの子供たちに居場所を創ってくださりありがとうございました。

そのおかげで今、私はここにいることが出来ます。ジャニーさんの子供たちを通じて仲間が出来ました。

 

どうぞ、今はゆっくりおやすみください。

これからもずっと彼らに寄り添い、見守っていてください。

 

心よりお悔やみ申し上げます。