しょーちゃんが優秀だから、会社にとって必要な人材だからってここまで執着するのは異常な気がするのは僕だけだろうか。

 

 

他にも優秀な社員はたくさんいるはずなのに、固執しすぎじゃない?身内だから?それだけじゃない気がしてならない。

 

 

しょーちゃんは社長になるにはまだ早いって言ってたし。

 

 

この人の本当の目的がどこにあるのか全然見えてこない。

 

 

だからこそ怖い。

 

 

「あの…、世襲制ではないと仰るなら、どうしてそこまで櫻井さんに拘ってらっしゃるんですか?

 

 

実際やってることが言ってることと合ってないように思うんだけど、どこがどうとか具体的に例を出せない。

 

 

言いたい事は色々あるのに体の奥でぐるぐると渦みたいになって上手く言えそうになく、ようやく絞りだした言葉がこれだった。

 

 

 

 

この言葉が片桐社長の逆鱗に触れたみたいで、凍てつくような目で僕を一瞥すると立ち上がりそのままドアの方へ向かった。

 

その鋭さに身体が震え上がったような気がした。

 

 

「相葉さんがお帰りだ」

 

 

ドアを開けるとそこに控えていた泉さんに声を掛けるのを聞いて僕は慌てて立ち上がる。

 

 

「あの…っ」

「今日はお忙しいところ貴重な時間を頂戴いたしました。この件についてのご意見をお聞かせ願いますよう伏してお願い申し上げます」

 

 

貼り付けたような笑顔と丁寧すぎるほどのビジネス会話で、一切僕に余計な口を挟ませる気はないらしい。

 

そのままの状態で泉さんに任せ、片桐社長がまたこっちに戻って来る。

 

 

 

 

 

「…っ。…こちらこそ、ありがとうございました」

 

 

僕も部屋を後にするしかなく、仕方なく立ち上がり礼を述べる。

 

 

 

 

 

「………」

 

 

 

 

 

?

 

 

頭を下げた僕の横をすれ違いざまに聞こえたのは、まるで独り言のような小さな小さな呟き。

 

 

聞き取れずに顔を上げても、何事もなかったような顔をして自分のデスクで僕を見送る片桐社長がいて、泉さんには聞こえなかったのか不思議そうに僕を見ていて、僕だけが幻聴を聞いたような気がした。

 

 

「お疲れさまでございました。本日はありがとうございました」

 

 

ドアの前まで行くと部屋を出る前に僕に泉さんが深々と頭を下げ、ドアを閉める。それから廊下へ出るドアを開けて僕を促し、エレベーターの前まで先導してくれた。

 

 

ここで結構ですと階下までの見送りを断って、エレベーターが閉まるまで頭を下げる泉さんの姿が完全に見えなくなったところでようやく息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

「………ハァ」

 

 

降下を始めたところで一気に脱力感に襲われて壁に背を預けた。

 

 

片桐社長を前に張り詰めていた緊張の糸と疲労感はハンパなかった。

 

 

ラウンジでお茶をする気力もなく、半ばフラフラになって向かった先はただ一人僕を癒すことの出来る人がいる場所だった。

 

 

ホテルを後にしてまず締め付けていたネクタイを強めに引っ張って結び目を解いて一気に引き抜いた。

 

首の後ろを抜ける時、シュッと衣擦れの音がした。そしてシャツのボタンも二つ外し寛がせる。

 

引き抜いたネクタイは歩きながらくるくると巻いて鞄に突っ込んだ。

 

 

アスファルトを蹴る靴音が、『早く会いたい』から、『早く早く早く』『もっと早く』『もっと急いで』に変わる。

 

 

時間が経つにつれて気持ちがだんだん不安と焦りに変わっていく。

 

 

だから急いで会わなくちゃ。会って早く抱きしめてもらわなくちゃ。

 

 

 

大丈夫だよ、雅紀。怖くないよ。って優しい声と笑顔に包まれて安心したい。

 

 

 

じゃないと僕の心が真っ黒に飲み込まれちゃう。

 

 

得体の知れないものに追われる恐怖から逃れるみたいにしてひたすら走り、目的地が見えるとやっと安堵したのも束の間。

 

 

オートロック操作盤を前に僕は固まった。

 

 

「うっわ…最悪。鍵忘れた…」

 

 

普段着ることのないスーツを着たために今日はいつもと違う鞄を使った。

 

しょーちゃん家の鍵は普段使いのバッグに入れたままだったことに、ここへ来て初めて気がついた。

 

パタパタと服の上から微かな奇跡を信じて体のあちこちに触れてみた。

 

 

「しょーちゃん、いるかなぁ…」

 

 

起こらなかった奇跡にがっくりとうなだれながら携帯を取り出し電話をかけるも出ない。

 

 

「しょおちゃーん…」

 

 

どうか、在宅していますように。

 

 

仕方なく部屋の前まで向かい、祈るような気持ちで直接インターホンを鳴らした。