短時間のフライトから降り立った地は、
そんなに長い期間離れていたわけではないのに既に懐かしい。
ゲートを抜けて数歩先で足を止め、
素早く左右を確認して再び歩き始める。
淀みなく歩き始めるのは、
この場にいる人たちに自分の存在を察知されるのを避けるため。
先日入国した先の空港では早々に発見されて、
SNSで拡散された。
海外ということもあり現場は大した騒ぎにはならなかったけれど、
流石にここは安全とは言い難い。
通常のタクシー乗降場所とは違う場所に、
ひっそり停車されているタクシーに向かって歩き出し、
機内で予約した時に伝えられたナンバーであることを確認する。
すると車内にいたドライバーも気づいたらしく、
名前を確認された後、後部座席のドアが開いた。
「○○○までお願いします」
「かしこまりました。
私、本日運転手を務めさせていただきます菊池と申します。
櫻井様を安全かつ迅速に○○○までお送りできるよう尽力いたします」
「よろしくお願いします」
丁寧な口上を述べたドライバーに会釈を返し、
発車した車内で携帯を弄ることで無用なやりとりをやんわりと拒否すると、
気配を察知したドライバーはそれ以降必要外の会話をしてくることはなかった。
かと言って車内で居心地の悪さを感じることもなく、
どちらかと言えば快適であり、
非常に好感の持てるドライバーであった。
帰宅ラッシュは過ぎてはいたものの、
都心に入ってから多少の渋滞がありはしたが想定内で、
ほぼ予定時刻通りに到着した。
「本日のご乗車ありがとうございました。
またのご利用をお待ち申し上げております」
「ありがとうございました」
精算を済ませ降車後も留まることなく真の目的地に向かって歩き出した。
カツカツと革靴の踵がアスファルトを鳴らす。
向こうでの仕事を済ませて空港に直行し飛行機に飛び乗ったので、
スーツ姿のままだった。
ジャケットの内ポケットから携帯電話を取り出し、
履歴の中の一つを選び出して耳にあてる。
コール音が、一回、二回、三回。
「…あれ」
出ないな。
一度耳から離して画面を見て、
もう一度耳にあてる。
五回、六回。
この時間に繋がらないなんてことは稀なんだけれど。
マネジャーから聞いていたスケジュールだと今日はもう帰宅しているはず。
なのに出ないと言うことは、
どこかに出かけているのだろうか。
食事か?飲みか?
たとえば、仲の良い芸人さんだとか。
…いや、それはないな。
性格上、
この寒い時期にこの時間帯に外には出ない。
と言う事は世界を救ってる最中か。
仕方ない、電話は諦めるかと呼び出しを止めようとした時に、
不意にコールが途切れた。
『……はい』
普段よりやや上ずった声。
…なんだ?
思わず返事も忘れ、画面に見入った。
『も、もしもし…?』
「あ、ごめん。
俺。
どうした?具合悪い?」
何かあったのではないかと自然と歩みが早くなる。
アスファルトを蹴り出す力が強くなる。
『ううん。大丈夫。
…外?
電話してて大丈夫なの?』
「そう、今移動中」
靴音で状況を瞬時に判断してくれるその聡明さは、
グループイチの頭の回転の速さを証明するものでもあり。
だけど、きっと俺のいる場所と、
電話の向こうで想像している場所では、
天と地ほどの差があるんだろう。
「ねえ、本当に大丈夫なの?なんか呼吸荒くない?」
会話の途中に雑ざる乱れ気味な息は明らかに何かを隠してる。
『何もないよ。気のせいじゃない?』
目的地のある大きな建物が眼前に現れ、
迷うことなくエントランスへ向かい、
押し慣れた番号を入力して開錠する。
自動ドアを通過してエレベーターに乗り込んで目的地へ一目散。
雑談を交わしている間も俺の脳内はフルドライブ。
ありとあらゆる可能性の中から導き出された一つの結論。
時間帯。
電話の向こうの様子。
声。
必ずしもその通りだとは言い切れないが、
恐らくはそう。
もしもこの仮定が正しかったことが証明されたらと思うと、
知らず口許が緩む。
エレベーターを降りて、
今や目的地は目の前のドアの向こう。
インターホンを押せば、
電話の向こうでも同じタイミングで同じ音。
一気に緊張が走ったのも全部筒抜け。
「出たら?」
そう言っても躊躇しているのは、
出られる状況じゃないから。
そうだろ?
居留守なんて使わせない。
あれこれ御託を並べて躱そうとする君には強めな一言だけでいい。
「いいから。ちゃんと出なさい」
『………はい』
ほらね。
そう。いい子だね。
会ったらちゃんと褒めてあげないと。
ご褒美に、
君のその熱をちゃんと鎮めてあげるよ。
君が好きな俺の声で。