「あ」

「え?

 

 

病院の敷地内は俺と大野さん以外の人の気配はなく、敷地の外に向かって歩いている最中、何かを思い出したかのように短い言葉を口にして大野さんはこちらを振り返った。

 

 

「あのさぁ…」

 

 

夜空に上る月を背にした大野さんの表情は逆光で見えず、まるで等身大の黒い影が俺に近寄り耳元で囁いた。

 

 

「続きするのはいいんだけど、あそこが何する場所か分かってるんだよな?

「ヒッ。…しゃ、写真、撮る、場所…」

 

 

口調の鋭さに思わず後ずさりそうになる俺を逃がすまいと後頭部を抑えつける左手は、見た目以上に力強く有無を言わせぬ雰囲気を持っている。

 

 

「だよなァ…。言っとくけど、あそこでするなら俺絶対おまえの最中の写真撮るよ?

 

 

ククク、と喉を鳴らして笑って見せた大野さんの表情は見えない。

 

言外にそれでもいいか?と覚悟を問うているのは分かる。それが本気の言葉かどうか分からないけど。

 

 

 

顔…。

 

顔が見えないから、不安で仕方ない。

 

どんなつもりで大野さんが言ってるのか見極めなきゃ。

 

 

右手が俺の左手首を掴んでいるからか、左手の後頭部への拘束は思いのほか簡単に解けた。

 

 

「…………」

 

 

ジャリ、と舗道の上に散らばる小さな砂粒を踏み鳴らして一歩横に動くだけで、僅かだけど月光を浴びる大野さんの顔が見えた。

 

 

 

 

それは、息を飲むほど美しい顔だった。

 

 

 

 

そして完全に獲物を捉えた捕食者のような鋭い視線が射貫くように俺を見ていた。

 

 

 

 

その目に見つめられて、思わず腰のあたりがゾクリとしたのは震えかそれとも疼きか。

 

 

 

 

あの場所は彼にとっては聖域。誰も侵してはならない場所。今の俺があそこに行けば確実にその瞬間を被写体にされてしまう危険な空間。

 

 

だから大野さんは覚悟を問う。俺に聖域を侵す覚悟があるのかと。

 

 

『ふたりのはじまりの場所』か、『何人たりとも侵すことの出来ない聖域』か…。

 

 

選択の余地があるだけマシなのかな。

それとも大野さんの中では、俺がどちらを選ぶか既に決まってるのか。

 

 

「ふふっ…、さすがに俺そっちの趣味ないんで辞退しますよ」

 

 

精一杯虚勢を張り、両手をあげようとしたら掴まれている方の手があげられなかったので、もう一方だけで降参のポーズをとる。

 

 

張りつめた空気が、フッと緩んだのを感じたのと同時に手首が軽くなった。