「…はーい。じゃあよろしくねー」
「翔ちゃんなんて?」
電話を切ってズボンの尻ポケットにしまうと、携帯ゲームから目を離さずにニノが訊いてきた。
「うん。近くまで来てるからあと5分ぐらいで来れるって」
「店長ー、翔さんあと5分ぐらいで来れるってー」
俺とニノの会話を事務所のドア近くにいた松潤が、バックヤードにいた店長に伝えてくれた。
「マジで?いやぁ、それは助かるわー」
俺がバイトしてるこの飲食店で、唯一の関西弁を話す店長がバックヤードから出て行って、しばらくするとパートさんが事務所に入って来た。
「お疲れさまでーす」
「あ、おつかれさまでーす」
「早上がりできましたか、良かったですね」
「気をつけて帰ってくださいね」
「ありがとう。みんなには申し訳ないけど、これで子供の帰り時間に間に合うわ」
パートさんがバタバタと着替えて足早に帰ったのと入れ違いで、おーちゃんが休憩に入って来た。
「休憩いただきます。あ、いま雨降ってきたぞ」
「え。翔さん間に合うかな」
「ギリじゃない?」
おーちゃんが上を指さし、松潤は入口を見て、ニノは時計を見て時間を確認した。
さっきの電話であと5分と言っていたからそろそろ到着するはずなんだけど…、と俺も入口に視線を向けると、遠くで声がした。
「あっ!しょーちゃん来たっ!!」
俺の声で一斉に松潤以外の他の二人も視線を向けた。
「おはようございまーす」
頭についた水滴を払うように頭を振りながら事務所に入って来たしょーちゃんは、そのまま更衣室には入らず俺たちの目の前でバイトの制服に着替え始めた。
「結構雨足強くなって来たし、風もこれから強くなるんじゃねぇかなぁ」
「もう今日は閉店にしちゃえばいいのにねぇ」
ニノが後ろからしょーちゃんの腰に腕を回してするりと絡みつく。
しょーちゃんは気にする様子もなく、カチャカチャとベルトを着けていた。
「翔くんはなんで来たの?今日昼からだっけ?」
「んにゃ、夜シフトだったんだけど大学が休講になって暇だったから買い物に出てたら、こいつから電話かかってきたの」
おーちゃんに訊かれ、左手はニノの手の上に重ね、右手の親指で俺を指した。
「今日、人足んないの?」
「あ、ううん、違うの。たぶん忙しくはなるんだろうけど、店長がパートさんを早く帰したいからって」
俺と松潤はそもそも休みのシフトだったんだけど、店長から出勤できないかと訊かれて急遽出勤したクチで、おーちゃんとニノは昼からの通常シフト組。
しょーちゃんは夜シフトだったけど、俺が電話したらたまたまこの近くまで来てたからシフトを早めて来てくれた。
「学校とか幼稚園がこの台風で途中下校になって、パートさん達続々とお迎えの電話が来て帰って行ったんですよ」
「ああ、それで…。さっき入り口で田端さんと入れ違ったんだけど、急いでたのはそのせいか」
松潤の説明で、パートさんが急いで帰った理由がわかったしょーちゃんはふむふむと頷いた。
「あ、櫻井くん、来てくれてありがとぉな。ほんっまに助かったわー」
店長が事務所に来て、しょーちゃんを見つけて声をかけた。
「いえ、ちょうど近くにいたので。それに学校の方も休講になって時間があったので良かったです」
「相葉くんと松本くんも、休みやのに出てもらって申し訳ないけど、これでパートさんみんな帰せて良かったわ。
前の時は、吉本さんやら今井さんやら帰してあげれんかってなぁ。もうしわけないと思ったけど甘えてしもて…」
今年は自然災害の当たり年みたいで、大型台風が何度も上陸し、地震も多い。
地震の時はちょうど通勤、通学の時間帯に当たり、一度は登校したお子さんが昼前に下校になったことで、昼食を食べに来る親子連れがたくさん来店して平日の売り上げを更新した。
低学年や園児の子供を持つパートさんは学校から連絡が入ってお迎えに帰ったけど、中学生や高校生のお子さんがいるパートさんはそのまま残ってくれて、なんとか人手不足ながらも昼のピークを乗り切った。
あとあと分かったことで、中学生のお子さんを持つ吉本さんはお子さんが朝、エレベーターの中に閉じ込められていたらしく、それでも人手不足で帰ることが出来なかった。
他にも、携帯電話を持っていない学生の子供を持つパートさんたちも家で子供の無事を確認するまで気が気じゃなかったと言っていた。
台風上陸の際も、事前に公共交通機関の運休が発表されていたからか会社が休みのところも多かったみたいで、家族連れの来店が多くみられた。
おそらく大型台風が近づいている今日も、これからたくさんの来客が予想される。
「『不要不急の外出は控えましょう』って散々言われてるのに、何で外に食いにくるかねぇ。バカじゃねぇの」
災害時に備えてレトルト食品や水、カセットコンロなんかが売れてるらしいけど、それ食ってろよ。と、机に肘をついて松潤が悪態をつく。
「…せやけどな、こうやって飲食店が開いてて助かったお客さんがいるのも事実やねん」
困ったように笑って店長が言った。
「昼前に下校になってしまって、子供らにご飯食べさせよう思ってお店行ったかて、スーパーやコンビニ行っても商品がなんもあらへん。そん時にうちみたいに食べモン屋さんが開いてたらとりあえずは食べさしてやれるやろ。特に小さい子供さんいてるお母さんなんかは助かってるはずやねん」
「…まあ、それはあるでしょうね」
ゲームから目を離さずニノが呟いた。
流通が麻痺して商品の入荷が遅れたり、停電で調理が出来なかったり、そんな時飲食店が営業してくれてたらそりゃ行くよね。
「でもさぁ、その飲食店で働いてるのはパートのおばさんがほとんどじゃん?その人たちにも自分と同じように子供がいるってちょっとだけ考えてくれたらいいのにね」
自分たちは子供と一緒にいてご飯を食べて帰るけど、そのご飯を作って提供してる間、パートさんたちは子供の心配をしながら働いてるんだよ。
自炊できる家庭が一組でも多く自炊して来客が少なければ、その分誰かを帰らせてあげられるんだ。
それに、ムリして外出して行き帰りの間に怪我しても大変じゃん。
そしたら、やっぱり家から出ないにこしたことはないよね。
「そうだね。相葉くんが言うように考えてくださるお客さんが多いことを願って、働きますか」
「しかたないですね。さっさと食べて帰っていただきましょうかね」
「よっしゃ、提供時間短縮頑張るかー」
「はやく台風過ぎるといいな。濡れて帰んのやだ」
しょーちゃんがポンと俺の肩を叩いて事務所を出ると、ニノがゲームをロッカーに片付けしぶしぶ後に続き、松潤はなんだかよく分かんない気合の入れ方をして、おーちゃんは天候の回復を願った。
「それでは、怪我や事故のないように、本日も一日宜しくお願いします」
「「「「「よろしくお願いしますッ」」」」」
店長からの申し送りの朝礼を終えて、もうすぐ開店時間を迎える。
どうか、無事に今日が終わりを迎えられますように。