既に服を着た大野さんは、ベッドの縁に腰掛けて体を捻って俺を見ていた。

 

大野さんを見上げながら自分の手の感触に違和感を覚え、視線を移せば俺の手は大野さんの指をしっかり掴んでいた。

 

慌てて離したけど、途端に寂しくなって視線だけは離せなかった俺を見て大野さんはクスリと笑った。

 

 

「…ずっと握ってたぞ」

「…え?

「一回離れたんだけどな。目ぇつぶってんのにすげぇ不安そうになって、サトシ、サトシって言いながらパタパタ探すみたいに動くから握らせてやったら、安心したみたいにギュって握って」

「す、すいません」

 

 

全然記憶にない。

 

 

「いや、全然。可愛かったぞ」

 

 

チュッと鼻の頭にキスを落とされる。

 

か、可愛いって言われても…、いやいや、子供みたいで恥ずかしいんだけど。

 

 

 

 

夢の中で、魚のサトシのヒレを掴んでたのは覚えてる。

 

あの時、溺れかけた俺を掴まえてくれたのは、細くて長くて綺麗な大野さんの指みたいなサトシのヒレだった。

 

 

「…体、キツくないか?

「え?…あ、はい。大丈夫です」

「軽く拭いたけど、シャワーが良ければ使っていいから」

 

 

言われて自分の体を確認してみれば、全裸の上に大きめのバスタオルがかけられていた。

特にベタベタした感触もなくむしろさっぱりしている。

 

問題があるとすれば、たぶん内側のほうだろう。

でも中に出されてはいないし、今すぐどうこうということはなさそうだ。

 

それより全身の倦怠感の方が大きくてもうシャワーも面倒くさい。

 

 

「あ~…、いいやもうこのまんまで」

 

 

起き上がるのさえダルいのに、歩いてバスルームまで辿り着く自信もない。

 

そんな俺を見て大野さんは申し訳なく思ったのか、そうか、とだけ呟いた。

 

しばらく会話のないままベッドの上で仰向けになって天井を見ている俺と、ベッドの縁に座って壁の方を見ている大野さん。

 

 

 

 

ギシ、とスプリングの軋む音がして大野さんの動く気配がして、俺の体が大野さんの方へ少し傾いた。

 

大野さんは無言のまま俺の髪に指を差し入れて、そのままするりと頬を撫でた。

 

 

「…本当は、もっとゆっくり育てていこうと思ってたんだ」

 

 

最後に顎の先を撫でた指先がふわりと離れていき、その優雅な動作に思わず見惚れずっと目で追ってた。

 

話しながら俺のフェイスラインをなぞった手がベッドに落ちて、大野さんの視線は壁に飾られた額縁へ流れていった。

 

 

蝶のイラストと花のイラストが、二つの正方形のフレームの中に飾られている。

 

 

「相葉ちゃんと、翔くんもニノも、ついこないだまで蕾や蛹だったんだ。何がきっかけか分からないけど、一番最初に花が開いた。それから一匹の蛹が羽化して綺麗な蝶になった。もう一つの蛹は頑なで、羽化するのを拒んでるみたいだった」

 

 

どこか遠くを見るような目をしながら大野さんが話し始めた。

 

 

「…大事にして、慈しんで、時間をかけて大切に育てて、自分から出てきてくれるまで気長に待とうと思ったんだけど、嬉しくて、早く会いたくなった。蛹の殻が少しひび割れただけで我慢できなくなって、無理矢理殻をはいでしまって、もしもこれで翅が固まらなかったらどうしよう。ダメになったらどうしようって。…俺の焦りが、ニノを…ニノの意思を無視するような形になってしまって、それについては悪かったと思ってる」

 

 

くるりと振り返った大野さんが頭を下げた。

 

 

「…ううん。きっと、これで良かったんだと思う」

 

 

たぶん大野さんが今日こうしてくれなかったら、俺は変わらないままだったと思う。

 

大野さんがいなくなることを独りよがりで悲嘆して、一緒に行きたかったと胸の内に秘めたまま、そのことを悔やみながら生きていたに違いない。

 

大野さんの想いを知らず、俺の気持ちを伝えられず、ずっとすれ違ったまま、それでも時々は顔を合わせ何事もなかったように言葉を交わす、そんな風な未来を迎えていただろう。

 

 

「ちょっと早かったかもだけど、こんな事でもないと俺は動き出せなかったと思うから、結果的にこれで良かったんだ」

 

 

確かに、展開は早かった。早かったけど、ここに至るまでの時間は十分にあったと思えるから、それでいいんじゃないか。

 

たぶんここで帳尻があったんじゃないかな。

 

 

項垂れる大野さんの頭を抱えるように抱きしめた。

 

 

温かい。温かいな、大野さん。大野さんは温かい人だよ。

 

 

「…そうか」

「うん。そうだよ」

 

 

腕の中の大野さんからは、あの時香ったTシャツと同じ匂いがした。