読めない人間って居るもんなんだなぁと。
どんだけ一緒に過ごしていても
どんだけ言葉を交わしていても
行動のパターンは読めるが考えが読めない。
何となく察せられる雰囲気はあるが踏み込む事ができない、そんな人間。
その一線は果たして
ソイツが引いたものなのか、俺が作ったものなのか、自分自身それすら判断できない、そんな人間。
居るもんだなぁと思う。
昔よく何を考えているか分からないと俺も言われていたが、相手はこういう気持ちだったんだろうかと最近よく思う。
唯一違う所といえば
お互いに「何を考えてる?」という言葉を全く発さないことか。
良いか悪いかは別として
今はこれが面白いと思う。読めない相手に波長を合わせると案外に、自分も何も考えなくても良い気がしてくる。
本音を深読みしたり疑ったりするくらいなら、読めないままにしておくのも悪くない。
何かしたり話したり、その時間や考えが義務に変わらずある以上、これがソイツとの自然体なんだろうと
最近はそう思う。
話さない訳ではないがね、聞けば答え、聞かれれば応えるただそれだけの簡単な手段で、『言葉』を聞く事はできる。
ソイツはおよそ自分にはできないと思えるくらい言葉には長けているが、それに本心が伴っていないと感じた。だから言葉の様な、殻になり得るモノから読むのは何処かのタイミングでやめている。
会話は途絶えない。下らない話で何時間でもお互いに笑える。
黙って、そこに居るだけ、それもできる。
揃って昼寝かと思えば、めいめい別な本を読みながら部屋に居る事もある。
毎回特に何をするでもない。特に何かしようと言う事もない。
趣味や価値観も全く違う。
読めない、だが
読もうとも思わずに
ただ居るだけの、そういう関係は今まででも無い。
何かを狙う必要もなく
ただボンヤリと居り
存在だけが明確でありつつ
個々が独立して時間を共有しようとするなら
多分こういう結果なのだろうと、そう思う。
同時に
もの凄くお互いの感覚が近いのだろうとも。
面白い。
これから先も
そのままでいてくれ。
その考えを間違いで理解するでなく
間違う事なく感じるだけ
そんな存在でいてくれ。
多分
踏み込む事ができないのではなく
踏み込む必要が無い人間なのだろう、良い意味で。
面白いよ、ありがとう。