芦原温泉を出発してすぐに見えてくる工場は段ボールの工場です。1か月で段ボールを150kmくらい生産できる非常に大きな工場です。工場の設置は1961とかなり歴史のある工場です。昔は芦原温泉まで専用線が伸びており、発送にもちいられていました。北陸道の建設は1970年代だったので当時は鉄道の方が有利だったということです。昔から福井は越前和紙の生産が盛んでした。明治時代からは機械化が進み、その中のトップ企業が金津、今の芦原温泉に工場を建設したのがはじまりです。これは成功し現在も生産が続けられています。このほかにも北陸は農業のできない冬の過剰労働力を生かしての伝統工業が発展してきました。その伝統工業は富山の製薬や福井の金属などに形を変えていきました。他には武生、鯖江、小松、高岡、小松、黒部、糸魚川などがこれに当たりそうです。これにより北陸には中規模都市が多数成立し数多くの特急が大都市とを結ぶことになったということです。そのせいで北陸新幹線には異常な数の駅が設置されたということです。

福井の到着放送がかかるころには九頭竜川を渡ることになります。九頭竜川を渡る橋は鉄道道路併用橋となっています。新幹線との併用はここが日本初です。新幹線が近くを走っていると騒音がひどくなりそうですが福井の近くであまり速度を出さないことや橋の高さを変えることでこれを防いでいます。九頭竜湖を渡る橋が数少なく、特に都市の中を通る8号線は渋滞がひどく九頭竜川をわたる橋の建設は急務でした。ただ、新幹線と道路を違う場所に建設するとなると金と時間、アセスメントの時間が無駄にかかることになります。もちろん新幹線建設用の予算を用いて道路橋を作ろうという魂胆ではありません(たぶん)。もしそれが事実なら業務上横領罪に抵触することになりますしやることはないと思います(やったとしても公表しない)

福井は1面2線の小さい駅です。三島も1面2線ですがホームの幅は福井の方が狭いのとホームドアの有無で福井の方が圧迫感を感じます。ただ、混雑対策として乗車位置ごとに改札口が異なります。また、高架下スペースが狭いため改札口を増やしたという理由もあります。

なぜこんなややこしいことになっているかというと話は1970年代にまでさかのぼります。そのころ福井付近の連続立体交差化が計画されていました。そのとき福井の偉い人たちは福山のように在来線の線路の上に新幹線の線路を敷けば工事費が安く済むというように考えました。もともと福井は2面4線として計画されていました。後に国鉄がケチったことにより1面2線として縮小されたほか新幹線がずっとできないので新幹線の高架は京福電鉄の真上に移動させられます。さらに京福電鉄が2003に路線が廃止されえちぜん鉄道に移管されたことにより京福電鉄との3階建て構造は廃案になりました。そうして現在のような北陸本線(ハピライン)、北陸新幹線、えちぜん鉄道の高架が3つ並ぶという構造になっています。

また新幹線の高架を一番最初に走ったのはえちぜん鉄道の車両というおもしろい話があります。もちろん新幹線用の線路や電化設備を使っていたわけではなく規格はえちぜん鉄道のもの(狭軌、直流600V)が使用されていました。2005年までに北陸新幹線の金沢(白山車両基地)以東の区間と福井駅付近の高架が着工されました。それは新幹線の高架を用いてえちぜん鉄道をさっさと高架化させるという目的がありました。えちぜん鉄道の高架を先に作らなかった理由はいくつかあり、一番大きな理由は北陸本線とえちぜん鉄道の高架の間に新幹線の高架が建設されるということです。北陸本線とえちぜん鉄道の高架化あとで北陸新幹線の高架を作ってしまうと建設機材を入れるスペースがなくなってしまうなどから難工事となってしまいます。また、建設中に北陸本線やえちぜん鉄道の運行をすっとプするわけにはいかず高架の上を列車が走行している時に北陸新幹線の高架の基礎を建設してしまうことになってしまうと北陸新幹線の方が基礎を深くまでさすので最悪えちぜん鉄道の基礎が傾いてしまう恐れがあります。そのため北陸新幹線の福井の高架は早くから建設されました。

とはいってもえちぜん鉄道が北陸新幹線の高架の上を走行するのはあくまで仮でえちぜん鉄道の仮の福井駅はエスカレーターは設置されておらず福井口にいたっては地上への通路は階段のみでしかも通路は一か所のみ、高架なのに構内踏切があるなどの非常に簡素な作りで建設されました。まあ仮の姿は3年で終了してえちぜん鉄道の駅舎が高架化されると一端の地方鉄道が新幹線の高架の上を走るという光景はなくなりました。

福井の発車メロディーは悠久の一乗谷です。在来線で使用されてい(過去形)ものとは別バージョンのものです。

福井を出発してしばらくするとかなり山深いところを走っていくことになります。北陸本線の北鯖江付近で鯖江の眼鏡看板があったかと思いますがその山の下を貫いているからです。理由は鯖江の市街地を避けるため。市街地の用地買収よりは山に突っ込んだ方が安く済みますからね。

越前たけふ到着直前、北陸道の真上を超えていきます。越前たけふは北陸道の武生インターのすぐ近くに設置されたということで名古屋行きの高速バスが越前たけふ乗り入れをしています。(喧嘩売っているようにしか見えないんですが)事実、新幹線延伸後福井~名古屋の高速バスは増発され月500人ほど利用者が増えているようです。

そんな越前たけふは芦原温泉と同じ2面4線の駅です。駅には道の駅が併設されています。また駅の裏山には新幹線のビュースポットも存在します。北陸道を乗り越える新幹線を撮影できるので撮り鉄の方はぜひ行ってみては?

越前たけふの発車メロディーの作曲者は細川俊夫さんです。

越前たけふを出るとすぐに武生トンネルに入ります。この武生トンネルの入り口にはビュースポットがありますが、柵が多く撮り鉄には向きません。

武生トンネルをでるとすでに南条付近です。武生と敦賀を直線的に結ぶために南条でいったん外に出るんですよね。南条あたりの平地を作り出したのは日野川です。日野川はアユ釣りができることで有名です。

嶺南と嶺北を隔てる山々を突っ切るため新北陸トンネルに入ります。全長は19.76kmで大阪~芦屋(19.2km)や天王寺~信太山(19.4km)とほぼ同じ距離です。

敦賀駅の3km手前まで新北陸トンネルなので到着放送は新北陸トンネル内で流れ始めます。新北陸トンネルを抜けると北陸道の上を超えます。超えた後はまたすぐに深山トンネルに入ります。短いトンネルですが近くに湿地があることや建設中にヒ素を多く含む土壌にぶちあったなど工事が難航した区間です。湿地帯に影響を与えないようにしたためトンネルを超えたところはものすごく高度が高いです。敦賀駅が高さ35mというくそでか要塞駅化したゆえんです。また、敦賀駅のすぐ北に国道8号が走っているのをオーバークロスする関係もあります。

それでも33‰の急勾配で可能な限り高度を下げています。

敦賀の駅は木目調となっており船の甲板をイメージしているそうです。敦賀は古くからの港町だからでしょう。

敦賀の発車メロディーは「来い来い敦賀」です。