些細なミスを怒鳴り散らすことでしか正すことができない可哀想な人に出会った。
怒鳴らなくても良いことに対して怒鳴ることでしか正すことができない可哀想な人に出会った。
ただ、言われた瞬間は、イラッとした。
そんな言い方しなくても良いのに、と思った。
確かに、人を諭す時、怒鳴る必要はない。
だって、怒鳴ったからといって、良いことは一つもないから。
怒鳴ることでしか正すことができない人って、正しているようで、実は損をしている。
なんせ、怒鳴ることによって、相手に警戒されるキッカケを作ってしまっているから。
その場は良くても、次からは、自分の言葉が中々届かなくなる。
なんたって、怒鳴り散らす人の言葉は、聞く耳を持とうとしないから。
その上、普段から警戒されているため、自分との距離が中々縮まらない。
そして、上手くいかない循環を作ってしまう。
すると、怒鳴る回数が次第に増えていき、ますます関係が悪くなる。
しかも、それを見ている人も、自分との距離を取ろうとする。
なぜなら、怒鳴られたくないから、言動を窺いながら接するようになるから。
怒鳴っても良いことなんて、何も思いつかない。
では、良いことなんてないのに、どうして怒鳴り散らすのか。
それは、怒鳴り散らすことでしか伝える術を知らないから。
普段のストレスと怒鳴り散らすことでしか発散できないから。
ゆえに、こういう人って、怒鳴り散らすことができるキッカケを普段から探して生きている。
だから、見つかった時には、「よし、チャンス」と思って怒鳴り散らす。
一種のストレス解消方として、自分を保つために怒鳴り散らしている。
怒鳴り散らす理由を知れば、怒鳴り散らす人に対して可哀想と思うようになる。
怒鳴り散らすことでしか自分を保つことができない人なんやな、と思うようになる。
怒鳴り散らすことによって、自分との距離はドンドン離れているにもかかわらず、そんなこと気にも止めていない。
お気楽な性質。
でも、そういうことを積み重ねていると、確実に自分の周りには人がいなくなる。
プライベートで会える人は、着実に減っていく。
だって、一緒にいても楽しくないから。
怒鳴り散らしたとしても、良いことって全然ない。
怒鳴り散らして言うこと聞くのって、最初の方なんよね。
それが続くと、聞いている方は、また言っているよ、と呆れてくる。
恐怖で人を支配しようとしても、長い目で見れば必ず失敗する。
しかも、自分が大損する。
そのため、そんな手法は一刻も早く止めた方が良い。
もし、自分の周囲に些細なことに対して怒鳴り散らす人がいたら、可哀想な人だな、と思うようにしたら良い。
それだけでも、少しは楽になるから。
けど、そう思うと共に、自分自身を反省する必要はある。
なんたって、怒鳴り散らす人を引き寄せたのは、まぎれもなく自分自身なんやから。
自分の中にある何かが原因となって、引き寄せているのはまちがいない。
相手を可哀想と思うだけでは、また同じようなことを引き寄せてしまう。
なんせ、自分の中から原因を取り除いていないから。
とにかく、怒鳴り散らす人を引き寄せた原因を、嫌味を言う人を引き寄せた原因を、自尊心を平気で傷つける人を引き寄せた原因を、自分の中に求めなよ。
そうやって、自分と向き合い、原因を知り、取り除くことによって、そういう人が現れなくなる。
現れること自体が、自分にとっての問題なんやで。
だからこそ、人としての器を大きくしなよ。
そんなくだらない人が自分の世界に現れないくらいの大きな器を形成しなよ。
現れるのは、自分に責任がある。
怒鳴り散らされることも、よくよく考えれば、自分に責任がある。
なぜなら、原因がなくて言われることなんてないんやから。
それに、怒鳴り散らす人にとっては、怒鳴り散らす原因なんて何でも良いんやから。
口実さえあれば、怒鳴り散らそうとしているんやから。
表面上の原因は、本当の原因ではない。
その奥に、ちゃんとした原因がある。
そこにこそ目を向けなよ。
すると、結構気づくことができるものだから。
ひょっとすると、周囲にいる怒鳴り散らす人って、自分の親を投影しているのかもしれない。
怒鳴り散らす親の姿が、その人を通じて現れているのかもしれない。
では、なぜ現れるのか。
それは、怒鳴り散らす親を認めることができていないから、許すことができていないから、受け入れることができていないから。
しっかりと受け入れていれば、こういう現象が起きることはない。
だって、自分の中で解決しているから。
解決していないからこそ、起きるんやで。
過去の問題を解決することなく放置したままにしていたから、今になって、解決するキッカケが、ある問題となって現れるんやで。
よって、怒鳴り散らされた時には、その原因を自分の中に求めなよ。
自分の奥の奥にある原因を求めなよ。
原因に気づきさえすれば、すっごく心が楽になるから。
自分と向き合う癖を身につけ、自分の心を軽くしなよ。
心のデトックスをしなよ。
そうやっていると、一つずつ受け入れることができるものが増え、自分の人としての器が大きくなるから。
いついかなる時も、自分の器を大きくすることを意識しなよ。
意識して過ごすことで、実際に自分の人としての器は大きくなるから。
人としての器が大きくなればなるほど、くだらない人を引き寄せなくなる。
素晴らしい人ばかりを引き寄せるようになる。
そんな人になりなよ。
自分の身の周りには素晴らしい人が集うような器を形成しなよ。
それが、自分にとってより良い道につながる。
案外、そんなものなんやで。
サコヤンの独り言
「自分の器を大きくし続け、素晴らしい人ばかりを引き寄せよう」