短い言葉の方が、印象に残る。
人って、ダラダラと長い言葉を言われるより、短い言葉をスパッと言われた方が後々まで覚えているもの。
ただし、良い言葉であろうと、悪い言葉であろうと、良い悪いに関係なく後々まで残る。
ゆえに、どんな言葉を言われるかは、すごく大事。
だって、小さい時に言われた言葉をいつまでも引きずる人は多いから。
けど、言われた側はいつまでも引きずっているのに、言った方は、言ったことさえ覚えていない。
こういうことは、親子の関係においてよく起こること。
よって、親が、子供に対してどんな言葉を投げかけるかはすごく大事なこと。
親の些細な一言が、子供の心を縛ることにもなれば、子供の心を自由にもする。
それほど、言葉には強い力が備わっている。
しかも、短い言葉って言いやすいから、自分が思っている以上に同様な言葉を頻繁に使うもの。
言う側も言葉に引っ張られるし、聞かされる側も言葉に引っ張られる。
だから、お互いが、ある言葉に支配され、ある種洗脳されたかのようにもなる。
良い方向に使えば、お互いの関係性は著しく良くなる。
悪く使えば、お互いの関係性はギスギスしたものになる。
これって、実は、家族の関係だけのものではない。
家族以外の関係でも言えること。
周囲にいる人に対して、良いことを短い言葉で伝えると、聞いている人は、次第に自分に対して興味や好意を抱くもの。
なんたって、良い言葉を聞くのって、心地良いものだから。
言われて嬉しいものだから。
言われて嬉しいことを言ってくれる人を、人は嫌いになったりしない。
むしろ、大事にする。
ゆえに、良い関係が構築されるんよね。
だが、悪いことを短い言葉で伝えると、相手は、自分に対して心を閉ざす。
警戒心を強め、自分との距離を保ち、よそよそしい関係性になる。
しかも、自分を傷つける対象としてとらえられる。
不思議と、短い言葉は心に残るため、その言葉に引っ張られて生きることにもなりかねない。
その上、何度も言われると、本当にそうなのかもしれない、といった想いを抱くようになるんよね。
良いことなら万々歳なのだが、悪いことであれば、最悪、命を絶つことにもつながってしまう。
ある種、言葉の力は絶大。
だからこそ、意識して良い言葉を使いなよ。
相手が喜ぶ言葉を投げかけなよ。
そして、長い言葉は必要ない。
相手に伝えるのは、短くて良い言葉を何度も。
これがポイント。
けど、残念ながら、これができている人は少ない。
なぜなら、そういう習慣を築いていない人が多いから。
そりゃそうじゃよね。
なんせ、相手の名前を何度も呼ぶこと、相手に対して「ありがとう」をちゃんと伝えること、すごいね、さすがやね、といったことをちゃんと伝える風習が根づいていないから。
たとえ、良いことであろうと、それをしよう、という意識がなければ、できないもの。
意識がなければ、当然、行動にも移せないし、習慣として築くこともできない。
そのため、あえて、意識しなよ。
相手に対して、短い言葉で何度も良いことを伝えることを。
ひょっとすると、褒めること、感謝を伝えることって、恥ずかしいと感じるかもしれない。
そういうことを言ってこなかった人にとっては、ハードルが高いかもしれない。
でも、そんなのは、自分の都合。
この際、自分の都合はどうでも良く、相手のことをちゃんと考えるんやで。
良い言葉は、言われて嬉しいものであることはまちがいない。
だったら、相手のためにも、嬉しい言葉を投げかけてあげなよ。
自分のつまらないプライドに固執して、自分の都合の良い思考に縛られたまま生きんなよ。
人は、誰もが人と人の間で生きており、一人では生きていけない。
ゆえに、周囲にいる人をもっと大事にとらえなよ。
短い言葉で良いから、事ある度に良い言葉を投げかけてあげなよ。
こういう意識を持って接していると、必ず、お互いの関係性は向上するから。
よほどの天邪鬼でない限り、良い言葉を言われると嬉しく感じるもの。
短くて良い言葉を何回も投げかけ続けていると、ボディーブローのようにジワリジワリ効いてくる。
自分に対するイメージが少しずつ良い方向へと変わっていく。
恥ずかしがって何もせずにいては、何にも変わっていかない。
これこそ、自分勝手な行動なんやで。
相手のことを何も思っていない行動なんやで。
相手のことを考えて、相手が喜ぶことを心がけなよ。
すると、短くても、相手が喜ぶ言葉を投げかけることができるようになるから。
もし、良い言葉を相手に投げかけることに抵抗がある人は、そんな自分を許してあげなよ。
自分と向き合い、抵抗を感じる要因となっているものを取り除きなよ。
親に厳しく育てられた人や、良い言葉を投げかけられた経験が少ない人は、良い言葉を投げかけることに抵抗を感じやすいものだから。
こうした原因が、必ずといって自分の中に存在する。
そういう自分を見つめ、受け入れていくことで、今まで抵抗を感じていたことを少しずつやれるようになっていく。
いきなりの変化は無理でも、少しずつの変化を心がけなよ。
心がけさえすれば、誰にだってできることだから。
やるかやらないかは、本人の自由。
ただ、より良い人生を歩むことを望んでいるなら、小さな変化を求め続けなよ。
それが、自分のためにも、周囲のためにもなるんやから。
案外、そんなもの。
サコヤンの独り言
「短くて良い言葉を投げかけることができる人でありなよ」