「失敗するのではないか」
という想いに支配されていやせんか。
無意識の内に、支配されている人は意外と多い。
過去のどこかで失敗をし、心に傷を負い、その傷が癒えておらず残り続けている人は特に。
失敗した時に、嫌な感情を強く抱き、失敗そのものを嫌なものとして定義づけしちゃっているんよね。
だから、失敗を極度に怖れる。
失敗して、再び傷つくことを過剰に怖れる。
ゆえに、何かをしようとしても、無意識の内に「失敗するのではないか」という怖れを抱き、強烈にブレーキをかける。
また、一度失敗していることに対しては、言い訳を並べ、やらないことを正当化しようとする。
言い訳して、自分にブレーキをかけて、やらない方に持っていく。
こうした行動は、無意識の内に抱いている「失敗するのではないか」という怖れが要因。
人は、失敗すると、嫌な感情を強く抱くもの。
強い感情は記憶に残りやすく、失敗は嫌なものとしてラベリングされちゃう。
一度貼ったラベルは、自分で修正しなければ、その先もずっと同じラベルのまま。
失敗は嫌なもの、してはいけないもの、というラベルのまま。
だから、このラベルに基づき、極力、行動しないように生きちゃう。
自分から動かなければ、失敗する機会に出くわす可能性を極限まで下げることができる。
失敗することに対しての、嫌な想いや思い出したくない記憶、怖れが、自分自身に強烈なブレーキをかける。
失敗は、絶対的な悪、という公式が成立し、それを絶対的なものとしてみなしてしまう。
そのため、何をするにしても、まず「失敗するのではないか」と思ってしまう。
ただ、過去、どんな失敗をしようと、次も失敗するとは限らない。
これからすることが、失敗するとは決まっていない。
何も起きていないのに、失敗するのではないか、と考えるのは、かえって、失敗することを助長しちゃう。
行動しない選択を選ぶことを助長しちゃう。
やる前から失敗のことを考えていては、脳も身体も、それに対応しようとする。
失敗してもいないのに、失敗することを前提とした準備をしちゃう。
これって、何かおかしいよね。
失敗するとあらかじめ思いこんでいると、始めることなんてできやしない。
突き進むことなんてできやしない。
だって、それは、犬死にすると分かっていることだから。
こういう心境では、普通、自分を守るために、やらないを選択しちゃう。
でも、そもそもの思考がおかしいんよね。
過去に失敗したから、次も失敗しちゃう。
と考えること自体が浅はか。
これって、単に、過去の失敗を引きずって、過去の失敗にとらわれているだけ。
過去の失敗と向き合わずに、放ったらかしにして逃げているだけ。
どうして、「あの時失敗したから、次は何が何でも上手くやってみせる」と思わないのか。
失敗した自分に絶望して、自分を低くとらえる必要はない。
そして、失敗がこれからも続く、と勝手に思いこむ必要はない。
思い込んじゃうと、それだけで、失敗を引き寄せる確率を高めてしまう。
失敗したくたくないと思えば思うほど、失敗という現象を引き寄せてしまう。
失敗するのではないか、という怖れが根底にあるにもかかわらず、行動に踏み切れたとしても、それでは、失敗する可能性を高めてしまう。
なんせ、失敗を意識し、失敗に焦点を当ててしまっているから。
ゆえに、失敗したら失敗したで、その事実を受け入れて、そこで想いを絶つ必要がある。
引きずることなく、次に臨む必要がある。
気持ちの切り替えってすごく大事なんやで。
人は、完璧な存在ではないため、どんな人も失敗する。
重要なのは、失敗した直後の自分の言動。
失敗したことを引きずり、再び失敗するのではないかと怯えるのか、失敗したことを切り換え次に臨むのかによって、大きな違いが生まれる。
そして、周囲の人は、意外と、こういう点を見ているんよね。
失敗したからといって、次も失敗するのではないか、と思うのは自分を駄目にする思考。
そうではなくて、「確かに前回は失敗はしたが、次に活かしてみせる、次こそは挽回してみせる、次こそは上手くやってみせる」といった心境に持っていきなよ。
しかも、すぐに。
じゃなきゃ、失敗して抱いた嫌な感情に引っ張られてしまうから。
そこから抜け出せなくなってしまうから。
こうならないためにも、失敗したら、できる限り早く、意識して切り換えること。
すっごく大事。
失敗は、一つの事実であり経験であるが、これに基づいて思考パターンを形成する必要はない。
だから、失敗した時こそ、強く意識して切り換えることができるようにしておきなよ。
その普段からの準備が、「失敗するのではないか」という想いに支配されないための効果的な方法なんやから。
怖れに支配されると、行動できなくなっちゃう。
だからこそ、あらかじめ備えておく必要がある。
なんたって、何も備えないのはあまりにも無防備だから。
そもそも、人は、失敗してはいけない、と教わり、失敗すると損すると学ぶ。
日本では、そういう教育が主流。
なぜなら、大概の親は、自分の子供が小さくて何かアカンことをした時に、怒って対処するから。
時には、手を出して従わせようとする。
よって、失敗してはいけないんだ、怒られることをやったらいけないんだ、と強く抱くようになる。
こういったものが根底にあった状態で失敗するから、より一層、失敗に対して拒否反応を示すようになる。
悪しき習慣がはびこっているんよね。
残念ながら…
とはいっても、今更どうすることはできない。
そのため、自分でどうにかする必要がある。
失敗した時に、その失敗と向き合い、考え学ぶ必要がある。
じゃなきゃ、怖れを抱き、次の行動に踏み出せなくなっちゃう。
次に繋げるためにも、抱いた嫌な感情は和らげなよ。
和らげるよう努めなよ。
そして、次こそはちゃんとやってやる、という心境に持っていきなよ。
すると、抵抗なくやれるはずだから。
「失敗するのではないか」と思うか「ちゃんとやってやる」と思うかでは全然違う。
ゆえに、何をするにしても目の前のことに対して、前向きにとらえることができる心を持ち続けなよ。
それが、自分を大切にすることにつながるから。
案外、そんなもの。
サコヤンの独り言
「無意識とはいえ、失敗するのではないか、と思うのは自分を苦しめるだけ」