常識を通してでしか物事を見ることができていない。


残念ながら、そうなっている。


おそらく、多くの人がこうなっているだろう。


無意識の内に、常識というフィルターを通しちゃっているんよね。


だから、物事を判断する際にも、これは、常識に合っているのか合っていないのかを考えちゃっている。


自分の想いや考えよりも、常識に沿っているかどうかを重要視しちゃっている。


もちろん、そんなつもりはない。


だが、不思議とそうなっている。


何をするにしても、常識を逸脱しない範囲で取り組み、無難な手段を選んでいる。


よくよく考えると、そうなっている。


知らず知らずの内に、世間の常識、自分の常識、というものが、自分の枠組みを作ってしまっている。


ゆえに、その枠組みから外に出ることができていない。


無意識の内にその枠組みから出ることを危険なものとしてみなしている。


出ようとすると、強烈なブレーキがかかるようになっている。


世間一般の常識に毒されているから、当たり前に縛られているから。


育つ過程で、がんじがらめで自由に動けないようになっている。


常識や当たり前に縛られ、既に用意されているレールの上を歩くようになっている。


自分の意思で考え、自分の責任の下に動くことをしなくなっている。


だって、流された方が、常識に染まった方が楽をできるから。


何も考える必要がなく、誰かの後をついていけば良いだけなんやから。


ロボットのように、思考も感情も必要ない。


仮に何かがあれば、誰かのセイにすれば良い。


自分は、安全なところで、ガヤガヤしていたら良い。


すごく楽なポジションに身を潜ませる。


多くの人が取り入れている手段。


処世術の一つとして実際にやっている方法。


皆がやっているからこそ、それが常識となる。


そして、この常識から逸脱すると、変な目で見られる。


皆と同じであることが絶対、という考えが根づいてしまっているんよね。


そのため、一度、常識に染まると、そこから中々抜けることができないもの。


抜けることができないため、常識に染まりながら生き続ける人は多い。


しかも、ドップリとハマっている人は山ほどいる。


世間の常識、自分の常識を唯一無二の答えと信じて…


決して、今ある常識を疑おうとしない。


むしろ、正当化しようとする。


その上、自分の常識を他者にも押しつけようとする。


常識に染まっている人の典型的なパターン。


ただ、常識を疑い、常識の壁をぶっ壊した人に、成功している人や活躍している人が多いのも事実。


なのに、常識に縛られている人は、こういう人を素直に認めることができないんよね。


つい、けなしたり、批判をしちゃう。


なぜなら、素直に認めてしまうと、常識に染まっている自分を否定することになるから。


自分を保つために、常識に染まらない人を攻撃しちゃう。


心に傷を負っている常識に縛られている人ほど、攻撃しちゃう。


攻撃しなきゃ、気が済まないんよね。


常識に縛られなければならない、常識に固執しなければならない、常識に従わなければならない、という思考は、一種の心の傷によるもの。


手放すことができないほど、取り除くことができないほど、心が傷ついている。


心が傷ついているからこそ、常識にすがりたいんよね。


常識にすがることが、自分を守ることになり、鎧のような役割を果たしているんやから。


心に傷を抱えている人ほど、自分自身を守ろうとする。


自分を守っているものにしがみつこうとする。


自分を守っているものを手放すと、自分を守ることができない、と頑なに信じている。


でも、それは、誤った思い込みであり、錯覚である。


だって、人生は、自分を守ろうとしなければしないほど、かえって、自分を守ることができるようになるものだから。


本当に、自分を守ろうとしなければ、自分から敵意を発することがなくなる。


すると、無防備な自分を見て、周囲の人は警戒を解き、安心してくれる。


敵意がない人に、人は、攻撃しないもの。


よほど、心がねじ曲がっていなければ…


大概は、安心し、気を許し、味方になってくれる。


なのに、何が何でも、自分を守ろうとする。


今の自分を守っているものを保とうとする。


これは、おそらく、小さい時に傷ついたことが原因なのだろう。


その時の印象が強く、自分の思い込んだものが絶対と信じ切っている。


けど、この生き方は、自分が苦しむ生き方。


自分が損をする生き方。


だからこそ、できる限り早く、こうした生き方を手放しなよ。


その方が自分のためになり、自分を大切にすることになるから。


世間の常識も、自分の常識も、それが絶対なのか、ちゃんと疑いなよ。


信じるだけでは、今までと何も変わっていかない。


信じ切っているからこそ、事態が好転していかないんやで。


真面目な人ほど、優しい人ほど、常識に縛られやすいから要注意。


時には、自分に軸を定めなよ。


世間の常識に軸を定め、それに合わせていると、自分の人生を誰かに委ねることになる。


そんな寂しいことはすんなよ。


自分の人生なんやから。


自分が主役として生きる人生なんやから。


大丈夫。


誰だって、自分の人生を生き切る力は備わっているんやから。


自分次第で素晴らしい人生にすることは可能なんやで。


ただ、そのためには、世間の常識を捨て、自分を貫いて生きる必要がある。


自分を持って、自分らしく生きなよ。


「これぞ自分」という生き方をしなよ。


そうやって生きることが、自分を大切にすることになるんやから。


案外、そんなものなんやで。



サコヤンの独り言

「今ある常識を手放して、もっと自由に生きなよ」