他者に合わせることを止める。
ものすごく大事。
だって、他者に合わせなければ、他者のことを気にすることなく自分を貫くことができるから。
多くの人は、他者に合わせすぎている。
ただ、自分が好きで合わせているわけではない。
合わせた方が楽だから、という理由で合わせている。
そして、この背景には、合わせないことに対しての怖れが存在している。
怖れがあるから他者に合わせ、他者に合わせて過ごしている内に、それがすべてのように感じてしまっている。
多くの人が陥っていること。
では、どうして、無意識の内に怖れを抱いているのか。
それは、人としての性質が大きく関わっている。
そもそも、多くの人は、身近にいる人の変化を素直に喜ぶことができないから。
認めることも、許すこともできないから。
ゆえに、全力で足を引っ張ろうとする。
必死に、頭一つ抜き出るのを邪魔しようとする。
出る杭は打たれる、という発想が強く根づいている。
もちろん、すべての人がこういうことをするのではない。
マインドをしっかりと育んでいる人は、他者の変化を素直に喜び、応援することができる。
でも、過去、心に傷を負い、心に傷が残っている人はそうではない。
自分のことしか考えることができなくなっているため、他者の変化を素直に喜び、応援することができない。
他者が伸びていくことを、認めることも許すことも、受け入れることもできない。
ゆえに、他者を攻撃してしまう。
批判や否定や、陰口などで攻撃しちゃう。
しない方が良いと分かっていながらも、つい、しちゃう。
心に傷を負っている人って、身近にいる人が伸びていくと、相対的に自分が下がっているかのように感じるもの。
それが嫌だから、他者を攻撃しちゃう。
他者を攻撃し、他者の立場を下げることで、自分の心を保とうとする。
心に傷を負っている人の典型的な特徴。
だから、自分が何か変わろうとすると、心に傷を負っている人は、すかさずなんらかの攻撃をしてくる。
それは、高い確率で起こるもの。
だって、自分の行動が、相手の心にイラッとするような刺激を与えているから。
素晴らしい行動であっても、心に傷を負っている人は、それを素晴らしいものととらえることができない。
歪んでひがみっぽくとらえるため、自分に対する当てつけのようにとらえてしまう。
他者を攻撃する根本的な原因は、その人自身が心に傷を負っているから。
ゆえに、仮に、攻撃された場合は、次のように相手を思いやれば良い。
「あっ、この人は心に傷を負っているんだな」
「攻撃することで自分を保っているんだな」
「心に抱えている傷がなくなったらいいね」
相手のことを思いやると、意外と相手を許すことができる。
攻撃されたとしても、受け流すことができる。
すると、攻撃されることに対しての怖れが軽減するんよね。
怖れが軽減すれば、それだけ、他者と異なる行動にとりかかりやすくなる。
自分を表現することもやりやすくなるし、自分の感情を顕にするのもやりやすくなる。
自分のエネルギーを出し切ることも、自分の純粋な想いに従って動くこともやりやすくなる。
なんせ、大概の人は、攻撃されることを怖れて、周囲に合わせているんやから。
攻撃されない手段として、周囲に合わせているんやから。
でも、攻撃されても大丈夫なんだ、と認識すれば、わざわざ他者に合わせる必要がない。
自分を抑えて、他者に合わせるメリットがない。
純粋な想いに従って動いて攻撃されたら、心に傷を負いできない状態だから攻撃しているんだな、と思えば良い。
膨大なエネルギーを出しながら生きて攻撃されたなら、心に傷を負いできない状態だから攻撃しているんだな、と思えば良い。
好きなことをやって攻撃されたら、心に傷を負っているからできないんだな、と思えば良い。
自分がやっていないことを他者がやった時に、素直に喜んで応援できるかどうかは、実はすごく大事なこと。
それは、心に傷を負っているかどうかのバロメーターになる。
心に傷を負っていなければ、素直に応援できるだろう。
心に傷を負っていれば、イラッとして、相手を攻撃しちゃうだろう。
チョットした違いが大きな違い。
よって、他者が変化することに対して、素直に喜び応援できる人でありなよ。
そのためにも、自分の心の傷と向き合い、心の傷を癒すよう努めなよ。
心の傷を癒すことが、自分の人生を好転させる一つの術なんやから。
もちろん、意識して、相手の変化を素直に喜び応援していると、自ずと心の傷も癒えるようになっている。
なんせ、心の傷と、自分の世界に現れていることって、密接に関係しているから。
自分の世界に現れていることを修正、改善していくと、それは、心の傷にも大きな影響を与える。
不思議とそうなっている。
そして、大事なのは、どこに焦点を置くかなんよね。
自分のことばかりに焦点を置いてしまうと、攻撃された時に、嫌という感情を抱く反応をし、自分を守ることに専念する。
しかも、相手のことを攻撃しようともしちゃう。
これでは、負のエネルギーに包まれ、負の循環が生じる。
たとえ、相手に直接的な原因があったとしても、これでは、自分自身が損をする。
だからこそ、相手を思いやることが大事なんやで。
攻撃された時にすかさず、「心に傷を負っているんだな」と相手のことを考える。
すると、相手に意識とエネルギーが注がれ、攻撃されたことがどうでもよくなるんよね。
自分のことよりも、相手の心の傷を心配しちゃう。
もしくは、攻撃することしかできない状態に、可哀想と思っちゃう。
相手を思いやると、相手の攻撃が、自分の胸に響かなくなる。
自分の心に突き刺さらなくなる。
自分のことだけを考え、守ることに必死だと、些細な一言で、深く傷ついてしまうのに。
相手を思いやるだけで、それがなくなる。
面白いものじゃよね。
なぜなら、何を意識し、どこに焦点を置くかによって感じ方が変わっちゃうんやから。
攻撃するメカニズムが分かれば、攻撃されることがある程度平気になり、その分、他者と異なる行動がやりやすくなるもの。
攻撃してくる人に対して思いやる意識があれば、他者と異なる行動だって容易にやれる。
案外、そんなものなんやで。
サコヤンの独り言
「他者を攻撃するのは、心に傷を負っているからであり、自分を保つための手段」