本気で打ち込む。


のめりこんで取り組む。


魂を込めて取り組む。


どれも大事なこと。


なのに、「私には本気で打ち込めるものがない」と寝ぼけたことを言っている人は山ほどいる。


確かに、本気で打ち込めるものには出会う必要がある。


だが、ファーストインプレッションで、「これは、本気で打ち込むものだ」と感じることってほとんどない。


そんなのは、稀有なものに過ぎない。


そして、運命的な出会いのようにビビッと来るのを待つものではない。


こんなの待っていても、やってくる可能性は低い。


もちろん、ゼロではないが、限りなくゼロに近い。


よって、「私には本気で打ち込めるものがない」と言っている時点で甘い。


だって、本気で打ち込めるものって、自分が本気で打ちこむ、と決めて初めて、本気で打ち込めるものに昇華するものなんやから。


単に出会って、感じるものではない。


普通に出会って、運命的な感覚を得た人はよほどの幸せ者。


大概の人は、これを本気で打ちこもう、とどこかで思って、本気で打ち込むようになる。


運命的な出会いを待っていれば、いつまで経っても本気で打ち込むことはないだろう。


何気なく時を過ごし、何気なく日々が流れていくだろう。


そうやって、薄っぺらい人生を過ごすようになる。


残念ながら、多くの人が陥っていること。


だから、現時点で、目の前にあるものに対して、本気で打ち込もう、と思うことが大事。


決めることが重要。


目の前のことに手を抜いて、楽をしているから、本気で打ち込んでいない状況が続いているに過ぎない。


もしくは、本気で打ち込むことを無意識の内に、見下し、バカにし、そんなことする意味がない、ととらえているに過ぎない。


人は、楽ができれば楽を選ぶ性質があるため、わざわざ、本気で打ち込もうとする人は少ない。


一度楽をすれば、その楽を続けようとする。


楽することを絶対的なこととして思いこむようになる。


本気で打ち込むことにアホらしく感じてしまうもの。


でも、そういう状態で、より良い人生を望む。


すごく傲慢で我侭。


最初から楽をして、人生をより良いものすることなんて、まず、できやしない。


世の中は、そのようにできていない。


何をするにしてもそう。


今楽をしているように感じる人であっても、人生のどこかで本気で打ち込んでいる。


一つのことに魂を込めてガムシャラにやっている。


そういう経緯があってこそ、今楽をしているように感じるものなんやで。


楽をしている姿だけを見て、そういう姿に憧れようと、その背景にあるものを見ようとしなければ、何にもならない。


人にとって、大事なのは、見えている部分ではなく、見えていない部分なんよね。


見えていない部分にこそ、その人の本質が隠されている。


ゆえに、人を見る時は、見えていない部分をイメージしなよ。


濃い人なのか薄い人なのかは、それで分かるから。


見えている部分は、どうにかごまかすこともできるが、見えていない部分って真実を表すためごまかすことができない。


そこを知ることがすごく大事。


逆に言うと、他者に見られない部分をいかに鍛えるかが重要となる。


そのためにも、本気で打ち込みなよ。


目の前にあることに本気で打ち込みなよ。


本気で打ち込もう、と決めて、本気で打ち込みなよ。


自分の感覚や感情なんて関係なく、とにかく、本気で打ち込みなよ。


うがった見方や言い訳など一切することなく…


ただ、ガムシャラにやる。


自分のすべてを注いで取り組みなよ。


終わった時にグッタリするほど、自分の全部を注ぎ込みなよ。


何をするにしても、こういった意識と心境で臨みなよ。


すると、必ず、頭一つ抜き出た存在となるから。


多くの人は、日々を手を抜いて、楽をして生きている。


そんな環境の中、自分が全力でやれば、本気で打ち込めば、負けるわけがない。


必ず勝てる。


多少の能力差があろうと、時の流れと共に追い抜くことなんて可能。


これくらい、真剣にやりなよ。


これくらい、本気で生きなよ。


これくらいの意気込みで生きなよ。


そうやって生きていると、確実に人生は好転するから。


そもそも、本気で打ち込めるものがないのではなく、本気で打ち込もうとしていない自分がいるだけ。


本気で打ちこむ自分を否定し、許すことができていないだけ。


本気で打ち込むことを、無意識の内に格好悪いものとみなしているだけ。


おそらく、人生のどこかでそう思う経験をしたのだろう。


例えば、本気で打ち込んでいることに対して、「調子に乗っている」と言われたのかもしれない。


本気で打ち込んだにもかかわらず、望んだ結果が出ず、「本気で打ち込んでも意味がない」と思ったのかもしれない。


楽をすることに心地良さを感じ、「私は本気で打ち込みたくない」と思ったのかもしれない。


今、本気で打ち込んでいない人の多くが、人生のどこかで、本気で打ち込むことを否定している。


ゆえに、やろう、と意識することも発想することもできずにいる。


だから、人生が何一つ変わっていかなくなっているんよね。


だって、世の中というのは、本気で打ち込む人が、すべてを注ぎこむ人がより良いステージに立つことができるようになっているから。


どこにいようと、何をしていようとそうなっている。


なのに、楽をしたがるから、楽をしてしまうから、何年も同じような生活を続けてしまう。


よって、そんな生活を過ごしているなら、一刻も早く脱け出しなよ。


そのためにも、目の前のことに対して、本気で打ち込む、と決めて、本気で打ち込みなよ。


本気で打ち込むと、人生に変化は生じるから。


本気で打ちこむ自分を許しなよ。


本気で打ちこむ自分を受け入れなよ。


いつまでも拒んでいる場合ではないんやから。


人生に大きく関わることなんやから、もっと真剣にとらえなよ。


それが、自分を大切にすることになるんやから。



サコヤンの独り言

「何も考えず目の前のことに本気で打ち込みなよ」