楽しい記憶を蓄積している?


目を瞑ってイメージしてみて。


パッと思いつき、笑みがこぼれる人は、普段から楽しんでいる人であって大丈夫。


でも、中々、思いつかなかったり、思いついたとしても数年前のことだったりする人は、要注意。


なんたって、楽しむ意識が低下しているから。


楽しむレベルが低くなり、楽しむことを否定していたりするから。


楽しい記憶というのは、快適な感情を抱いている時に蓄積されるもの。


楽しい記憶が多いというのは、それだけ快適な感情を抱いている証。


楽しい記憶が乏しいというのは、それだけ快適な感情を抱く機会が少ない証。


文字にしたら大きな違いはないが、両者の人生って大きく異なるもの。


下手すると、月とスッポンほど違うもの。


人って、誰だって楽しむことができる。


意識したり、工夫するだけで、いつだって、どこだって楽しむことができる。


何をしようと楽しむことができるもの。


そして、楽しんでいる人ほど、快適な感情を多く抱いている人ほど、人生を謳歌しているもの。


もちろん、楽しい記憶が少ないからといって、悪いわけではない。


ただ、すごくもったいないだけ。


楽しい記憶が少ないことって、何だか寂しい生き方なんよね。


でも、多くの人が陥っていることでもある。


心にゆとりを失うと、人は楽しむことをないがしろにする。


やるべきことに時間を取られ、楽しむ時間を疎かにする。


しかも、楽しむことを否定するようになる。


自分には、楽しむ余裕も、時間もお金もないんだ、と僻みっぽくなる。


決して、良い傾向とは言えない。


よって、心にゆとりを持つことってすごく大事。


楽しむ余裕を持つことってすごく重要。


なんせ、ある地点で、自分の人生を振り返った時に楽しい記憶がなければ、ゾッとするから。


何のために生きてきたのか分からなくなる。


過去を思い出すことを怖れるようになる。


人の記憶って、上手いことできていて、本当に悲しい出来事や都合が悪いことって、中々、思い出しにくくなっているもの。


ゆえに、振り返った時に、プラスの記憶や楽しい記憶がない期間は、空白のように感じるもの。


思い出したくても思い出せないものなんよね。


印象的な記憶がなくて…


すると、どうなるかというと、時の流れがあっという間に感じるもの。


空白に感じる期間が長ければ長いほど、あっという間に感じるもの。


一方、楽しいことをたくさん経験している人って、意外と時の流れをゆっくりに感じているものなんよね。


充実しており、楽しい記憶が一杯あり、人生を謳歌している。


一日、一ヶ月、一年の密度が濃いんよね。


密度が濃いと、しっかりと生きている、という実感がある。


この実感がある人って、ない人に比べ、時の流れをゆっくりに感じているもの。


やはり、楽しんでいる人の方が、快適な感情を何度も味わっている人の方が、素晴らしい人生を送っているもの。


ただ、誰にだって、こうした人生を送ることができるんよね。


楽しむことに焦点を当て、楽しむことに意識を向け、楽しむことに貪欲になれば。


日々の忙しさにかまけて、こうしたことをないがしろにする。


ゆえに、日々を退屈に感じるようになる。


いわば、自業自得。


自分の選択によるものだから、100%自分の責任。


でも、自分の責任とは認めたくはないんよね。


そのため、何らかのセイにしたがる。


けど、事実を事実として受け入れ、楽しむ人生を歩もうではないか。


退屈に感じる日々を卒業して…


自分次第で、今からでも、そうすることはできるんやから。


だって、楽しむことは、お金がなくてもできることだから。


当然、お金があるに越したことはないが…


なくても、十分楽しむことはできる。


考えや発想次第で楽しむことはできる。


だったら、自分から楽しめば良い。


貪欲に楽しむ意識を持って、目一杯楽しめば良い。


そこで、お薦めな方法がある。


それは、自らがプレイヤーとなること。


アイディア、企画、運営など、自分自身が率先してやること。


すると、単に参加するだけの人より、何十倍も楽しい。


時には、笑われることも、恥をかくこともあるが、それはそれで楽しい出来事。


後になれば、笑い話にもなる。


楽しいことに参加することでも、楽しむことはできる。


しかし、楽しむ度合いに限界がある。


楽しめるといっても、あくまでもそこそこでしかない。


プレイヤーの非ではない。


そりゃそうじゃよね。


なぜなら、意気込みが全然違うから。


本気で臨むのと適当に臨むのでは、得るもの感じるもの、何もかもが異なる。


プレイヤーと単なるオーディエンスでは、同じ場所にいても、何もかもが異なる。


よって、できる限り、プレイヤーでありなよ。


責任やリスクは大きくなるが、こうしたものが大きいほど喜びも悔しさも大きくなる。


良くも悪くも大きな感情を得ることって、人生において大きなプラスとなる。


上手くいこうといかまいと、大きな感情を得ることができるポジションでいなよ。


なんたって、そこでしか得ることができないことがあるから。


それに、そういうポジションに何度もついている人の方が、人生において大きく羽ばたいていくことができるものだから。


とにかく、普段から、楽しいことを考え、楽しいことに貪欲でありなよ。


そういう姿勢が、自分の人生を素晴らしいものに導いてくれるから。


案外、そんなものなんやで。



サコヤンの独り言

「楽しむだけのゆとりを持ち続けよう」