気持ちを前面に押し出すこと。
ものすごく大事。
なぜなら、気持ちは、行動においてのエネルギーとなるから。
何かをする際、気持ちが強いのと弱いのでは、勢いが全然違う。
よって、行動においてのパワーも大きく異なる。
実は、気持ちって、生きる上でものすごく重要な要素なんよね。
強いか弱いかで人生は、全然違ったものとなる。
おそらく、多くの人は、このことに気づいている。
気づいてはいるのだが、大半の人は、自分の気持ちを前面に押し出していない。
自分の気持ちを押し殺して過ごしている。
きっと、自分の気持ちを前面に押し出して生きている人は少数派。
なんたって、気持ちが強いと、エネルギーが強くなる分、何かあった時の反動が大きくなるから。
この反動を怖れて、自分の気持ちにブレーキをかける。
過去のどこかで、強い気持ちで臨み、大きく傷ついたことがある人ほど、こういったことに陥りやすい。
過去の失敗を受け入れ切れずに、未だに、気持ちを強く出して臨むことは危険、という考えを抱き続けている。
そんな人は、意外と多い。
ただ、自分の気持ちを押し殺すことって、自分自身を粗末に扱うことであり、自分の可能性を否定することでもある。
なのに、この状態を当然だと思い込んでいる。
決して、当たり前なことではないにもかかわらず…
確かに、自分の気持ちを押し出すと、その分、上手くいかない時は、反動が大きくなる。
だが、もしものことを考え過ぎると、結局のところ何もできなくなる。
「危険だ、危険だ」と叫んだところで、何もしなければ何もならない。
危険だからやらない、というのは、正当性がありそうだが、単に逃げているだけ。
自分が危険ととらえることで、やらないようにしているだけ。
しかも、こういう場合、自分が過剰に危険ととらえているだけで、本当は、危険なものでなかったりする。
なのに、危険と、思い込んでしまうんよね。
なんせ、やらないことありきで考えているから。
やらないことの言い訳が危険であるだけ。
そういう感覚でとらえている。
もちろん、反動が大きくなることはまちがいないが、それが起きるとは限らない。
だって、気持ちを前面に押し出すとエネルギーが強まり、上手くいく可能性も高まるから。
上手くいけば、反動は返ってこない。
そのまま先へと進むことができる。
危険だけをとらえて、先に進む可能性を放棄することは、愚の骨頂。
危険という可能性を認識しつつ、先に進む。
そうやってとらえておけば良い。
より良くなる選択肢は、常に残しておき、選ぶことができるようにしておくこと。
今の自分を守るためだけに、この選択肢を排除してはいけない。
今の自分を守るために、排除しても、自分の人生を考えると、マイナスとなる。
ゆえに、もっと大きな視点で物事をとらえなよ。
今の自分だけを見ると、判断って、誤りやすいものだから。
自分の人生という視点でとらえると、気持ちを前面に押し出すことって、必ずプラスとなる。
上手くいけば、事態が展開し、自分のプラスとなる。
上手くいかずに、大きな反動が返ってきて傷ついたとしても、それによって強くなれるから、自分のプラスとなる。
確かに、傷つくことは、多くの人は避けたがる。
都合が悪いことは起きて欲しくないと思うのは当然の感情。
ただ、忘れてはならないのは、人の身体は、傷つくと、回復する時に傷つく前以上に強くなって回復する性質がある。
筋肉を鍛える際は、あえて、筋肉を傷つけるもの。
心だって、同じこと。
傷ついて回復すれば、より強い心を持つことができる。
おそらく、辛いことを経験している人ほど、優しくなることができる、というのは、こういったことを表しているのだろう。
ただ、心が筋肉と異なるのは、回復するのに、膨大な時間を要すること。
稀に直ぐ回復する人もいるが、全体的に見ると、たくさんの時間を要している人が多い。
なんせ、心の傷の場合は、意識や感情も関係してくるから一筋縄ではいかないもの。
でも、だからこそ、回復した時には、強くなることができる。
よって、心の傷は辛いだけではない。
自分の心を鍛えるためには必要なもの。
しかも、各々にとって、乗り越えることができる傷しか負わないようになっている。
その人に合った絶妙な心の傷を負うようになっている。
おそらく、何か、大きな力が働いているのだろう。
そのため、心の傷は、プラスに受け入れたら良い。
傷ついたけど、これは、きっと意味があるのだろう、と受け入れたら良い。
負った傷を前向きにとらえると、負った傷に嫌な想いはしなくなる。
すると、回復する時間は早くなるもの。
一方、傷を受け入れなければ、回復の時間は遅くなる。
だったら、あらかじめ、傷を負った時は、前向きにとらえよう、と決めておく。
そうしておけば、何かをやる際、ブレーキをかける必要がなくなる。
なぜなら、すでに、傷を負うことを受け入れた状態で臨むことができるから。
傷を負うことから逃げるのではなく、傷を負っても良いと受け入れる。
そういう意識と姿勢が大事になる。
しょせん、傷を負ったからといって、どうにかなるものばかりだから。
どうにもならない傷なんて、負うことはない。
どうにもならない傷をおうかもしれない、と思うのは、単に自分の思い込みであることが多い。
ちゃんと向き合っていれば、光明が見え、大概なんとかなるもの。
ゆえに、ただただ、受け入れたら良い。
過剰にとらえる必要性はない。
過剰にとらえるのは、未だに、過去の記憶に縛られているから。
過去の記憶や、その時に抱いた感情に執着しているから。
そんなものに、執着したって、自分のためにはならない。
できる限り、早くに手放しなよ。
この方が、自分の心が自由になり、自由に動けるようになるから。
とにかく、上手くいかない時のことを、あらかじめ受け入れ、気持ちを前面に出して臨みなよ。
そうやって生きる方が、確実に楽しいから。
面白い人生を過ごすことができるから。
案外、そんなものなんやで。
サコヤンの独り言
「傷つくことは嫌、という感情に対する執着を手放そう」