最高の感動を得ることを目指す。
得ることができるかどうかは分からないけど目指す。
ものすごく大事。
なぜなら、得ることを目指す過程で学ぶことができるものはたくさんあるから。
その過程でしか得ることができないものが山ほどあるから。
ただ、自分自身が最高の感動を味わうことを求めている人って思っている以上に少ない。
誰だって、最高の感動を得ることができるというのに…
自分自身が、自分のもてる力を出し切って生きていれば…
最高の感動というのは、どれほど自分が人生を本気で生きるかどうかにかかってくる。
人生に対する自分の想いが感動に大きな影響を与える。
人生を本気でとらえている人ほど感動は大きく、適当にとらえている人ほど感動は少ない。
なんせ、どうとらえるかによって、自分が取る行動が変わるから。
やはり、人生を本気でとらえている人は、それなりの行動を取っている。
人生を適当にとらえている人は、それに応じた行動を取っている。
無意識の内に、自分は、自分の人生のとらえ方に準じた行動を取っている。
そして、それを絶対的なものとしている。
決して、絶対的ではないのに…
自分の人生に対する意識や想いが高まれば、それに伴って行動の質も高まる。
しかも、感動する度合いも高まる。
ゆえに、自分自身の意識や想いを高め、行動の質を高めていくと、誰だって最高の感動を味わうことができるもの。
達成感に満ち溢れ、自然と涙が流れるような最高の感動を得ることができるもの。
その可能性は、誰にだって備わっている。
けど、ほぼすべての人が、これを目指していない。
なぜなら、やる前から「自分には無理」と諦めているから。
今の自分の力だけを見て、「自分ではこの程度くらいしか無理」と上限を決めているから。
「到底無理」という判断をすることによって、やることを放棄するから。
この根底には、次のような考えが存在する。
得ることができないのならやる意味がない、
得ることができないことが分かっているならやる必要はない。
結果至上主義。
人は、育つ過程で、無意識の内に結果に縛られる。
資本主義であるため、ある程度は仕方がない。
もちろん、目指したからといって望む結果を得ることができるとは限らない。
だからといって、諦める理由になるわけでもない。
確かに、結果を目的にすれば、本当に勝つのは、上位の人達だけ。
トーナメントでは、優勝者、優勝チームはたったの一人or一つ。
それ以外は、すべて、勝負の世界では負けとなる。
だが、優勝者、優勝チームだけが存在意義がある、というわけではない。
参加した人、参加したチームそれぞれに意義がある。
目指して参加しなければ、得ることができなかった意義が確かにある。
だから、参加して自ら目指すことは大事。
とはいえ、目指したからといって、トップを勝ち取ることができるとは言えないし、そこに到達しない人の方が圧倒的に多い。
でも、なんやかんや言って、傍観者でいるよりはプレイヤーでいた方が良い。
だって、傍観者では、最高の感動には確実に到達しないから。
最高の感動を味わえるのは、プレイヤーのみ。
自分の人生において、プレイヤーとして自分のもてる力を出し切って生きている人だけ。
自分の人生において、プレイヤーとして最高のパフォーマンスをしている人だけが最高の感動を勝ち取ることができるもの。
なのに、このフィールドに立っている人は少ないんよね。
いつしか、傍観者の立場にフェードアウトしている人が圧倒的に多い。
こう言えば聞こえは良いが、実は、自分の人生において妥協しているだけ。
自分には無理、という制限を設けているのを格好良く言っているだけ。
やろうともせず、やってもいないのに「自分には無理」と決めつけ諦めているだけ。
生き方として、どこか格好悪い。
けど、そんなことおかまいなく、格好悪い生き方を選んでしまう。
自分の力を出し切る道を諦めてしまう。
不思議と、人は、自分を出し切る道を歩むことを避けがちなんよね。
なぜなら、自分のすべてを出し切って上手くいかなかった場合、自分自身が全否定されたような感覚に陥るから。
決して、そんなことはないのに、自分ではそう感じてしまう。
自分を守るためにも、すべてを出し切ることを止め、何をするにおいても言い訳をできる余地を残そうとする。
強い否定が加わることを怖れ、すべてを出し切らない。
そういう処世術を学んでいる。
よって、無意識の内に、最高の感動を味わうことができる道から外れている。
しかも、時が流れるほどに遠ざかっている事実。
自分の思考癖がそうさせている。
だからこそ、この思考癖を修正する必要がある。
確かに、すべてを出し切ると、パワーが膨大で、上手くいく可能性は高まるし、上手くいかなかった時の傷は大きくなる。
ただ、これだけを見ると、嫌な感じがするかもしれない。
でも、大事なことを忘れている。
なんせ、人は、傷つくと傷つく前よりも強くなって回復するんやから。
大きく傷つけば、それだけ強くなることができる。
強く傷つくことは、悪いことではない。
むしろ、自分をより大きく成長させるには必要なこと。
こういう考えを受け入れ、実際に、最高の感動を得ることを目指しなよ。
その道では、学ぶことができるものはたくさんあるから。
また、最高の感動を得るには、どう意識し、どう動いたら良いかが分かるようになるから。
こうやって最高の感動に焦点を定めると、自ずと意識の質、行動の質が高まる。
だって、意識の質、行動の質を高め続けなければ、最高の感動を得るまでには至らないから。
ひょっとすると、目指したからといって最高の感動を味わうことができないもしれない。
でも、目指している過程で、様々な感動を味わうことができる。
この点だけを見ても、自分にはプラスとなる。
そのため、得ることができるかどうかではなく、目指すことが大事なんやで。
目指すからこそ、多くを得ることができるんやから。
今の力に関係なく、最高の感動を得ることを目指しなよ。
きっと、自分のためになるから。
案外、そんなもの。
サコヤンの独り言
「最高の感動を得ることができる生き方をしよう」