逃げ出したくなるものこそあえてやる、思いっ切り良くやる。


ものすごく大事。


なぜなら、逃げてしまうとそこから逃げ癖がつくことにもなりかねないから。


しかも、逃げ出したくなるものというのは、自分にとって重要なものであることが多く、重要なものから逃げる癖をつけかねない。


重要なものから逃げる癖をつけると、人生において大きな制限を設けることになる。


また、目の前の重要なもの以外のものからも逃げるようになってしまう。


たとえば、家族、お金、仕事、友達、仲間、恋人、時間、自分の想い、といった、生涯つきまとうものに関しても、逃げるようになってしまう。


仮に、逃げなかったとしても、かわすようにして対処するようになってしまう。


そして、何をするにしても、真正面からぶつからなくなる。


真正面からぶつかってはいけない、と思いこんでしまう。


真正面からぶつかることで、大きなエネルギーを伝えることができるというのに…


正攻法の手段を自分自身で封印し、回りくどいやりかたを用いることになる。


これって、実は、自分にとって大きなマイナスとなる。


よくよく考えると、それがちゃんと分かる。


例えば、自分が何らかのミスをし、それを謝る場合、メールで済まそうとする。


相手の目を見てしっかり謝るのではなく、電子文字で謝る行為を取ってしまう。


形だけ謝ることをしても、それだけでは、自分の誠意や想い、といったものは伝わらない。


むしろ、失礼と思われて、自分に対しての信頼を失墜することにもなりかねない。


自分では謝っているつもりでも、かえって、相手は自分に対して不信感を募らせる。


謝るにしても、正攻法から逃げた手段で謝ろうとする。


これは、効果がない場合は多い。


仕事では、ありえない、とされることだろう。


電子文字で謝ると、一瞬で、自分に対しての信頼は失われる。


自分の常識が疑われるであろう。


ただ、無意識の内に、正攻法の手段を選ぶことができなくなっている人は多い。


真正面からぶつかることを避けている人は山ほどいる。


こういう人って、過去に逃げ出したくなるものから逃げた経験があったりする。


やりたいことがあってもやることから逃げ出した経験があったりする。


言いたいことがあっても、我慢して言わなかった経験があったりする。


しかも、正攻法でやることを危険なものとしてとらえていたりするもの。


たとえ、危険ではないものであっても、危険とみなしたりする。


やらずに逃げることを正当化するために。


おそらく、多くの人は、逃げ出したくなることをやっても、意外とどうにかなることを知っている。


けど、自分からはやろうとしない。


なぜなら、やることより逃げることを自分の中で優先としているから。


やってしまえば逃げることができなくなる。


だから、やらないために、危険というラベルを貼る。


だって、危険というラベルを貼ると、やることを早々と諦め、結果的に逃げることができるから。


ただ、逃げ出したくなるものに対して、危険ととらえて逃げるか、チャンスととらえて突き進むかによって人生は大きく変わる。


第一線で活躍している人ほど、逃げ出したくなるものをチャンスととらえているもの。


その先に素晴らしい何かがあることを感じ取っているもの。


ゆえに、未知なるもの、やったことがないものに対して、好奇心旺盛でいる。


その上、違和感を抱くものに快感を抱いているし、スリルがあるものに快感を抱いている。


非日常的なものに対して受け入れる度合いが強く、M的な心を持っている。


こういう人ほど、成長し、自分の環境を次から次へと変えていく力や性質を持っている。


でも、こんな人って、意外と少ないのが事実。


そりゃそうじゃよね。


多くの人は、逃げ出したくなると、危険ととらえ逃げちゃうから。


けど、逃げちゃうと、そこで、逃げる癖を定着させる可能性は高い。


なんたって、重要なものから逃げると、その記憶は強く残るから。


しかし、その記憶をちゃんと覚えている人は少ない。


なんせ、最初に逃げたのは、小さい時だったりするから。


小さい時に逃げ、そこから、逃げ癖を身に着けると、物心ついた時には逃げることが当たり前となっている。


逃げることに疑問を抱かなくなっている。


そのため、大人になっても逃げ癖を抱えたまま過ごしている人の数は膨大。


すごく残念でならない。


なんたって、自分の力を十二分に発揮できなくなる制限となるから。


逃げ癖を抱えたまま、真正面からぶつかることができなければ、できることは高が知れている。


制限がある間は、力を封じられて過ごしているようなもの。


危険ではないものを危険と感じ、いつまでも逃げ続けてしまうもの。


逃げることを当たり前としながら…


そもそも、危険と設定するのは、逃げ出したい、という想いを隠すための手段でもある。


なぜなら、逃げ出したい、という想いは逃げるための正当性のある理由にはならないから。


逃げたい、という想いを正当化する上で、「危険」という言葉は都合が良い。


だって、「危険」という言葉は、逃げたいという想いを隠しながらもやらないための理由としてはもっともそうに聞こえるから。


「危険だからやらない」という表現は、どんなことにも使える便利な言葉。


しかも、危険かどうか中身を確かめなくても、危険という言葉だけで、危険と思いこんでしまう。


やらないためのパッケージとしては、これほど便利なものはない。


抽象的な言葉って、使い勝手が良いがゆえに、深く考えたりはしない。


そういうものなんだ、と容易に決めつけちゃう。


ある意味、怖い言葉でもある。


よって、抽象的な言葉に翻弄されないような力を持つことは大事。


じゃなきゃ、簡単に逃げることになってしまう。


やっぱり、逃げ出したくなることから逃げると、やりたいことから逃げると、家族や友人、自分の想いなどの大切なものからも逃げることにつながることを意識する必要がある。


とにかく、逃げ出したくなるものと出会った時には、できる限り、しがみついてでもやること。


だって、それが、自分にとって大切なものを大切にすることにつながるから。


逃げ癖を持つことは、人生において大きなマイナスとなることを自覚しよう。


でも、いじめなどで、命や身体に支障が出る場合は逃げるのもあり。


極力、やることを選び、逃げるなら逃げるで納得できる逃げ方をすること。


そして、改めて、逃げる、ということを考えなよ。


すごく大事なことだから。



サコヤンの独り言

「今逃げていることがあるなら真正面からぶつかってちゃんとやりなよ」