考えることは誰にでもでき、考えることは大事。


ただ、考えることが不要な時もある。


例えば、考えたって答えが出ない時。


答えが出ない時にあれこれ考えても、答えは出るものではない。


答えが出ない状態であるにもかかわらず、考えたって、さほど意味はない。


あれこれ考えることはできるが、答えに近づくことってそうない。


考えることはできても、どつぼにはまることは多い。


思考の迷宮に陥ることは多い。


そして、思考の迷宮に陥ると、更に考えに考え、答えを導こうとする。


考えて答えが出ない場合、答えにたどり着く方法は考えることではなかったりする。


考えることから離れることだったりする。


考えることを止めることだったりする。


やり方が合っていると、意外とトントン拍子に進んでいくもの。


順調に進まない場合、やり方が間違っている可能性もある。


自分自身のやり方を疑う強さも時には必要。


考えるだけでは答えが導き出せないものもある。


何かの答えを導こうとして、壁にぶつかることは、どんな分野でもあるもの。


ただ、そんな状況の中で、無理矢理答えを導こうとしても、斬新な考えって浮かばないもの。


不思議なもので、壁にぶつかった時の斬新なアイディアって、考えることを止めた時に浮かんだりするもの。


一旦、考えることを止め、散歩をしている時や趣味などによってリラックスをしている時などに…


もし、何らかのアクションが取れるのであれば、アクションを取るのも良いだろう。


何度も何度も考えているのに答えが出せないのは、その答えが考えることで出すものではない可能性を探ることも大事。


考えることではなく、アクションによって答えを導き出すものなのかもしれいない。


それなのに、いつまでも考えていてはいつまで経っても、答えは出るものではない。


考えて答えが出ない場合、考えることをひとまず手放すこと。


すごく大事な決断。


おそらく、考えることによって答えを導き出してきた人にとって考えることを手放すことは苦渋の決断のように感じるだろう。


でも、考えることを手放すことによって答えにたどり着くこともある、という事実を知る必要はある。


そして、人は、誰もが考えることができるため、誰しもが考えることに逃げがち。


だって、考えている間は、やっている感があり、それなりの達成感を抱くことができるから。


けど、一向に結果はついてこなかったりする。


そりゃそうじゃよね。


だって、悩みや不安があって、たくさん考えたからといって悩みや不安がなくなるわけではない。


むしろ、悩みや不安が募り、より一層悩みや不安ばかりを考えてしまう。


考えることによって、現状を悪化させることもある。


悩みや不安って、実は、考えても答えが出ないことが多い。


ゆえに、考えることで、悩みや不安を解決しようとすると、どつぼにはまることは多々ある。


よって、悩みや不安を和らげるには、考えることではなく、動くこと、実践することなんよね。


たとえば、片思いしている人がいるとしよう。


好きな人を思い、想いを募らせあれこれ考え悩んでも、一向に自分が納得する答えなんて出やしない。


どれ程考え悩もうと、自分が満足する答えは得ることができないもの。


その間、寝つけなかったり、生活のリズムが崩れたり、様々な支障が出たりする。


こういった状況を解決することができるのは、告白して自分の想いをちゃんと伝えること。


告白という行動をすることによって、一つの答えが出る。


考えたり、悩んだりしているだけでは出せなかった答えが出る。


もちろん、玉砕することもある。


一方、上手くいく場合もある。


リスクを取って行動に移す。


答えを導くための立派な手段。


でも、玉砕したくないから告白したくない、行動に移したくない、という判断をするなら、いつまでも考え、悩み、もがくことになる。


ただ、その間に、誰かが告白し、上手くいった場合、自分の中に後悔が残るから要注意。


しかも、その後、どうなるかはすごく大事。


もうあんな後悔は二度としたくない、と思い自分が納得する行動を取るようにすることもできる。


また、リスクを取ることを怖れ、行動を我慢し、後悔する選択肢を選ぶ人もいる。


前者は学びととらえ、自分自身を変える糧としている。


後者は学ぶことなく、悪しき習慣を築いてしまっている。


そして、リスクを取ることを怖れ、行動を我慢することを何度も繰り返していると、次第に、行動しようとも思わなくなる。


その上、行動しようと思っても、無意識の内にリスクを取ることを怖れ、我慢することになってしまう。


やりたいことがあっても我慢するもの、我慢しなければならないもの、という思考が自分の中で当たり前なものになってしまう。


自分が気づかない内に。


こうなると、行動に移すことができないまま、考え、悩み、もがくだけで多くの時が流れていってしまう。


この時間の使い方はすごくもったいない。


確かに、玉砕することは多くの人が敬遠すること。


できることなら、玉砕はしたくないと思うもの。


だが、玉砕することを受け入れることで、行動することができるもの、実践できるもの。


これはどんなことにも当てはまる。


リスクを受け入れて実際に動く。


時には、考えることよりも重要で効果的な手段。


考えるだけが術ではない。


考えることが通用しない時は、行動という手段を選ぶこと。


考えても答えが出ないものに考えることで挑んでも、思考の迷宮に陥るだけ。


どうにもならなくなる前に、実際に動くことで、早々と答えを出すこと。


もちろん、動くことには勇気がいる。


けど、しっかりと受け入れて動きなよ。


それが、答えを導く手段なんやから。



サコヤンの独り言

「リスクを受け入れ、実際に動くことで答えを導き出せるものもある」