抑圧された想い。


大なり小なり、多くの人が抱えている。


なんたって、自分の好きなように自由奔放に生きることができる人なんてそうはいないから。


人と関わる中で生きていれば、組織の中で生きていれば、自分の想いを抑えることは日常茶飯事。


自分の思い通りに貫くわけにはいかない。


そんなことをすれば、衝突が起こり、そこでの自分自身のポジションを危うくすることだってなりかねない。


ひょっとすると、自分の想いを抑えることが大人になることなのかもしれない。


比較的自由に生きていた学生から、大人になることなのかもしれない。


どこかの組織に入り、生きていく場合、そういうことを受け入れる必要がある。


処世術の一つとして…


比較的自由に生きることを望むなら、組織に所属せず、自分で独立する道を選べば良い。


ただ、いきなり独立しようと思う人は少なく、多くの人は組織に入る道を選ぶ。


これは、ある意味、自分を抑圧する生き方を選択することでもある。


生きるためとはいえ、抑圧する選択を選ぶと、少なからず、自分に影響は及ぶ。


中には、感情が出にくくなる人もいる。


中には、表情に変化がなくなる人もいる。


中には、心が動きにくくなる人もいる。


抑圧する生き方を手放さない限りは…


けど、大人になってからの抑圧は、まだマシな方。


だって、そういうものだろう、となんとか受け入れることもできるし、妥協することもできる


だが、小さい時に、自分の強い想いを抑圧した人は、そうではない。


なぜなら、抑圧することを当たり前として、抑圧した状態で過ごすことになるから。


これは、人生を損して生きることでもある。


自分でも気づかない内に損するような生き方を選んでしまっている。


なぜ、損かというと、感情豊かな時期に、感情や想いといったものを抑えて生きてしまうから。


しかも、それだけではない。


強い想いを抑圧した人は、それ以降、何か思ったところで、その想いまでも抑圧してしまう。


やりたい、やろう、と思ったところで、すぐさま、その想いを抑えにかかる。


ゆえに、思ったけどやらない、という選択を選ぶことが多い。


思ったのにやらないを選んでいると、次第に、思うこと自体をしなくなっていく。


思うこと自体に、意味を感じなくなっていく。


何も思わなくなり、感情そのものを失ってしまう。


すると、思うという行為をしなくなり、思うという選択肢を失う。


その上、思ってはいけない、と決めつける。


やりたいと思うことができない人生。


やろうと望むことができない人生。


やろうと思ってもすぐさま抑圧されてしまう人生。


こういう生き方って、すごく寂しいよね。


でも、小さい時に自分の強い想いを抑圧した人って、結構、こんな人生を送りがち。


無意識の内に、自分の想いを抑圧し、抑圧する習慣を持ち、抑圧するように考える間は。


よって、何かのキッカケで、自分自身を解放することがすごく大事。


なんたって、解放しなければ、いつまで経っても、抑圧し続けることになるから。


一番良いのは、小さい時に抑圧した想いに気づくこと。


その想いに気づくことで、抑圧された状態を脱する可能性は高い。


ただ、気づいた直後がものすごく大事。


なぜなら、また、やりたい想いを抑えてしまうと、再び自分を抑圧する人生を歩むことになるから。


気づいた直後にどんな行動を取るかによって、抑圧された人生を歩むか、抑圧から解放された人生を歩むかが決まってくる。


抑圧から解放されると、自分の想いに正直になって生きることができる。


自分の望みや想いを、すぐさま抑えることはなくなる。


やろうと思ってやる、やろうと思ってもその想いを抑えるとでは、全然違った人生を歩むことになる。


おそらく、自分を抑圧して生きている間は、自分らしく生きている実感は小さいだろう。


これでは、自分の命を無駄に使ってしまう。


せっかく、奇跡の連続でこの世に生まれてきた命というのに…


そもそも、抑圧は、幸せを生まない。


だから、できる限り手放した方が良い。


手放して、より大きな自由を手にした方が良い。


無意識とはいえ、自分の想いを抑圧する生き方って悲しいよね。


けど、抑圧を手放した瞬間、大きな力を発揮することができる。


しかも、抑圧した期間が長ければ長いほど、より大きな力を発揮することができる。


抑圧されている間に、濃縮されてエネルギーが強くなっているんよね。


このエネルギーを活かせば、自分の人生は大きく変わることだってある。


ゆえに、小さい時に抑圧した強い想いって、自分自身の天職につながる想いである場合も多い。


小さい時に強い想いを抑圧した経験がある人は、それに気づき、解放することで天職にたどりつくことにもなりうる。


抑圧している間は、自分を困らせるものではあるが、解放すると自分自身の重要なものとなり、大切な味方となる。


小さい時に抑圧された想いというのは、記憶の遥か彼方にあるため、中々気づけるものではない。


おそらく、そこにたどり着くまでは、膨大な時間と労力を要するだろう。


なんせ、中々、気づくことができないよう、様々なメンタルブロックがあるはずだから。


そういったものを、一つ一つ取り除きながら、記憶の遥か彼方にある想いにたどり着く必要がある。


道なき道を突き進むようなもので、多くの人は敬遠しがち。


というよりも、意識することも発想することもできない。


そのため、自分自身を抑圧したまま生きている人は多い。


仮に、意識できたり、発想できても、一人で進むにはあまりにも難易度が高い。


よって、心のことを理解している人の協力を得ながら進んだ方が良い。


軽度の抑圧であれば、多少、強引な方法でどうにかなるが、重度の抑圧であればそんなものでは何の解決にもならない。


自分の抑圧の度合いを鑑みながら、手段を選択しなよ。


だって、抑圧された想いってデリケートな問題でもあるから。



サコヤンの独り言

「強く抑圧された想いを解放することで、より良い人生を歩める」