覚悟を決める。


ものすごく大事なこと。


だって、覚悟を決めるかどうかで、考えることも、行動も何もかもが変わってくるから。


ただ、覚悟を決めることを重要なものとして、認識していない人は多い。


なんせ、覚悟は、決めなくても、生きることはできるから。


何気なく生きる上では、なくても大丈夫だから。


覚悟が必要な時というのは、これまでと道を変える時、これまでと考え過や生き方を大きく変える時、新たに守るものができた時など。


大概が特別な時に覚悟を決めるもの。


ゆえに、特別なことがない人にとっては、覚悟そのものと縁がないもの。


縁がないから、意識することもない。


意識しないから、多くの人が覚悟を決めることなく、時が流れていく。


だが、特別なことがなくても、覚悟を決めることができる人もいる。


もし、そういう人がいると、その組織の中では目立つ存在になるだろう。


なんたって、覚悟を決めている人と決めていない人では、明らかな差が生じるものだから。


では、特別なことがないのに、覚悟を決めることができる人というのはどういう人なのか。


それは、小さい時から「決める」ということを何度も繰り返してきた人。


ことあるごとに、自分の意志と判断で決める、ということをしている。


すると、自分で決めることが習慣となっており、容易に決めて物事に取りかかることができる。


しかも、一度決めたら迷うことなく、突き進むことができる。


そして、小さい時から「決める」ことを何度もしている人というのは、スポーツの世界でそれなりの結果を出している人である場合が多い。


なぜなら、スポーツというのは、瞬時に状況が変わり、その都度自分で判断をしてより良い選択肢を選ぶ必要があるから。


迷う時間も、悩む時間もない中、瞬時に選ぶ必要がある。


もはや、感覚的に決めることが習慣になっている。


でも、すべての人がこういうわけではない。


むしろ、「決める」ことが習慣になっていない人はたくさんいる。


こういう人って、些細なことでも決めることができなかったりする。


周りからは、優柔不断と見られていたりするし、自分でも優柔不断と認識していたりする。


そのため、覚悟を決める、なんて尚更できない。


覚悟を決めようとしても、決め切れず、膨大な時間が流れていく。


何もしないまま、時だけが流れていく。


覚悟を決めることができない人の傾向。


では、どうして「決める」ことが習慣となっていないのか。


それは、「決める」機会が圧倒的に少ないから。


もちろん、スポーツをしていない、という理由もあるかもしれない。


だが、それ以上に大きな理由というのは、親の存在。


親の育て方に強く影響を受けている場合が多い。


なんせ、自分で決める、という選択をほとんどさせてもらえずに育っているから。


親の言うことは何でも聞いたり、いつまでも親に甘えたり、親に支配され依存しているとそうなりがち。


決定権はいつも親にあると、それが当然と思い込んでしまう。


自分で決めることなく、親が決めることに従っていると、自分は決めなくても良い、決める必要がない、決めない方が良い、といった風に決めつけてしまう。


ただ、これは、家族間で済む問題ではない。


当然のように、家族以外の場でもそうなるケースが多い。


なんたって、社会生活の基本は家族だから。


家族で学んだことを、外でも実践する。


よって、家族で、決めることができずに育つと、外でも、自分では決めずに過ごす。


何かを決める場合は、他者が決めたことに乗っかる。


どうにかして、自分では決めない選択肢を選ぶし、選びたがる。


家族で学んだことをそのまま外でも実践するがゆえに、自分でマイナスなことをしている場合もある。


確かに、小さい時は、何も判断することができないから、親の導きに従うのは当然と言えば当然なこと。


でも、いつまでも親の導きに従う必要はない。


なんたって、自分は、立派な一人の人間であり、親の操り人形ではないから。


それに、どう考えても、普通、親の方が先に命を失う。


ゆえに、自分のことは自分で決めることができるようにしておくことは大事。


親を頼り、親に依存していると、いつまで経っても親に安心させることはできやしない。


また、親は親で子を大事に思うあまり、いつまでも甘やかしがち。


子は子で親を思うあまり、いつまでも依存しがち。


子離れできない親、親離れできない子、そんな親子関係を築いてしまう。


だから、親は親で、子に対して、ある程度ドライな関係を築く必要がある。


子は子で、親に対して、依存を絶ち切る必要がある。


それが健全な関係だから。


ただ、今がどんな関係であろうと、自分を導いてくれた親には感謝しよう。


導いてくれたからこそ、今の自分があるんやから。


育て方に何か誤りがあったとしても、親は親で、子を育てるのは初めてなことなんやから、誤ることもある。


それを含めて自分の人生。


親に感謝した上で、自分の問題は自分で解決する。


親との関係がキッカケであったとしても、それは、自分が解決する問題。


親に責任はない。


だって、問題を与えてくれて、成長するキッカケを与えてくれているんやから。


それが親の一つの役割。


親との関係を真正面から見直し、改善する。


そして、自分のことは自分で決めることを、自分自身にゆるし、認め、受け入れる。


これ以降の親の導きは参考程度までにし、自分のことに関しては、自分で決める。


自分で決めることを自分の中で重要なものとする。


そうすれば、どんなことでも自分で決めることができるようになる。


道を変えることが訪れたとしても、自分で決めて自分の意志で道を変えることができる。


覚悟を決めて挑戦できる。


とにかく、自分のことは、自分で決めて、自分で生きることができるようになりなよ。


自分の人生は、自分で決断するからこそ、自分らしく生きることができるんやから。


親は大切であっても、どこかで線引きしなよ。


どこかで、決断を誰かに委ねることを止めなよ。


だって、自分の人生を生きることができるのは、自分だけなんやから。



サコヤンの独り言

「自分のことは自分で決めるからこそ、自分らしく生きることができる」