今すぐ評価されなくても良いからやる。


自分を信じてやり続ける。


自分の信念を貫いてやり続ける。


評価なんてものは、意識する必要がないもの。


だって、意識したからといって、今すぐ得られる評価なんてほとんどないんやから。


気にするだけ無駄。


それよりも、まずは、今できる行動を積み重ねること。


考えながら動いていると、確実に成長する。


そして、成長を重ね続けていると、評価は自ずとついてくるもの。


だから、評価されなくても良いからやる、という姿勢はすごく大事。


この姿勢があるからこそ、新たなことでもチャレンジできる。


チャレンジできない人の多くが、無意識の内に、評価を得るかどうかを気にしている。


もちろん、多くの人は、評価されることを望んでいる。


だが、評価を得ることを望む、ということは、評価されないことを嫌うことでもある。


評価されないことを拒むことでもある。


これは、評価されない自分を認めていない証。


評価されない自分を受け入れることができていない証。


よって、こういったことを心の奥に抱え、結局のところ、行動できずにいる、チャレンジできずにいる。


評価を気にしなくても良い、頭では分かっているのだが、心ではそうは思っていない。


ただ、頭で考えることよりも、心で思うことの方が優先されるため、行動しないこと、チャレンジしないことを選んでしまう。


心の奥に抱える歪んだ想いが、自分からチャレンジを奪っている。


しかも、多くの人がこうした状況に陥っている。


では、どうして、こういった状況に陥るのか。


おそらく、それは、親との関係に原因がある場合が多い。


どういう要因かというと、親に認められる回数が少なかったこと。


認められたいと思っているにもかかわらず、認められずに過ごす子供はたくさんいる。


実際のところ、多くの親は我が子をしっかりと認めている。


認めていない親の方が少ないだろう。


でも、そんな親の想いとは裏腹に、ちゃんと認めてもらえていない、と感じている子は結構多い。


だって、親と子の会話の量が圧倒的に少なくなってきているから。


突っ込んだ会話をする家族が減ってきているから。


無意識の内に兄や姉ばかりを賞賛し、下の子を兄や姉と比較し、劣等感を抱かせたりしているから。


兄や姉はちゃんと認めているのに、自分は認めてもらえていない、と感じると、その子にとっては、認めてもらえていない実感だけが残る。


たとえ、親が子を認めているつもりであっても…


そして、認めてもらえた、という実感をあまり持てていない人にとっては、認めてもらうことってすごく大事なこと。


ゆえに、認めてもらえなくても良い、という立場に、中々、立つことができないもの。


認めてもらえなかった、という空虚感が残ったままでは、認めてもらわなくても良い、という心境には、中々、なれるものではない。


そのため、評価されなくても良い、認めてもらわなくても良い、という状態になるには、まず、小さい時に抱いた空虚感と向き合う必要がある。


無意識の内に抱いた、空虚感と向き合い、しっかりと受け入れる必要がある。


どういった人が、空虚感を抱きやすいかというと、両親が共働きの子、兄弟に対してコンプレックスを抱いている子、親との会話が少ない子であることが多い。


大概の親は、子をちゃんと認めているもの。


ただ、親も子を育てるのは初めてであるため、子に誤解を与えることもある。


たとえ、上の子がいたとして子育ての経験があったとしても、二人、複数を同時に育てるのは初めてのこと。


そんな中で、誤解を与えずに育てるのは至難の技。


だって、子は何気ない言葉に強くショックを受けるから。


しかも、ショックを受けたことを我慢し、親に伝えようとはしないから。


お互いが誤解を抱き、それぞれの想いにズレが生じる。


こうして、ズレたまま生き続けるから、誤解を抱いたまま生き続けることになる。


どちらかが誤解に気づくまでは、ズレたまま過ごし続ける。


親との誤解がズレを招き、認められたい、という想いを募らせる。


今すぐ認められたい、という想いを強くする。


こう思っている間は、評価されなくても良い、認められなくても良い、という心境になれるものではない。


なぜなら、評価されないことに、認められないことに、無意識の内に怯えているから。


よって、親との誤解を解き、親とのズレを解消することが大事。


これをすることによって、今すぐ評価されなくても良いからやる、今すぐ認めてもらえなくてもやる、という心境に基づいて動くことができるもの。


親と子の間に誤解を生むのは、必ずといって、会話量の不足。


親が子を一人の人間として認めていないことによるもの。


ちょっとしたことで、誤解は生まれないし、ズレも生じない。


ただ、親と子の間に誤解が生まれ、ズレが生じると、子は心に深い傷を負うことになる。


最悪の場合、傷が癒えないまま生涯を終えることもある。


深い傷を負ったまま人生を過ごすのは、明らかに大きなハンデとなる。


なんたって、心に深い傷を負うと、簡単に考えは歪み、歪んだ思考のまま行動に移ることが多くなるから。


結果的に、マイナスな考えに基づき、マイナスな行動を実践し、マイナスな果実を得る。


そういう悪循環に陥る。


残念ながら、多くの人が陥っている。


だって、家族との会話が少ない人は多く、その上、ある年齢を過ぎると家族のことをまったくといって考えない人は多いから。


家族のことを考えることなく、過去のことを棚上げにしていては、何も解決しない。


たとえ、誤解があってもその誤解が解けることはない。


そして、誤解によるズレが、今の自分から行動を奪っている、チャレンジを奪っている。


そんなことが至る所で起きている事実。


心の傷は、自分が思っている以上に根深いもの。


だが、しっかりと向き合い、ちゃんと癒やせば、今の自分に変化が生じるもの。


なんたって、今までできなかった行動ができるようになるんやから。


心の傷によってメンタルブロックがかかっていたことでも、傷が癒えることでメンタルブロックも解消する。


ゆえに、家族との関係はしっかりと改善しなよ。


それが、評価されなくてもやる、という心境に基づいて実践することにつながるんやから。


案外、そうなっているものなんやで。


サコヤンの独り言

「今すぐ評価されなくても良い、という心境でやり続けていると次第に評価されるようになるもの」