よくよく考えてみると、人生において、同じような問題が何度も起きていたりする。
ただ、一回一回の間が空いていることが多く、自分でもしっかりと認識できていないことは多い。
ゆえに、根本的な問題に気づかないまま、何度も何度も、同じような問題が起きてしまう。
どんな問題があるかというと、たとえば、いつもDV的要素を持っている男性と付き合う女性がいる。
人とつながることを嫌い、人と良い関係を築いても、次第に人との関係を絶ち切り一人になる人もいる。
一人でいることが耐えられなくて、いつも誰かと一緒に、若しくは、集団で過ごそうとする人もいる。
問題の大きさに大小はあるが、その人なりに問題を抱えている人は意外と多い。
ただ、何度も繰り返される問題というのは、その人自身にとって、乗り越えるべき試練なんよね。
その試練を乗り越えない限り、ずっと付きまとう。
そして、何度も繰り返される問題というのは、親との間にある何らかの問題であることが多い。
親との間の問題が、形を変え、他者との間で問題となって現れていることがよくある。
DV的要素を持っている男性ばかりと付き合う女性は、実は、父親がDV的要素を持っているケースが多い。
父に対する想いや関係を修正、解消できないことが、他者との問題に現れたりする。
他者との問題が、父との問題を解消するための警鐘だったりする。
でも、その警鐘に気づかないことで、その状況に我慢をし、よりキツイ状況に陥ることもたくさんある。
だって、目の前の問題が、家族との問題、親との問題が起因しているとは、思わないから。
多くの人は、まったく関係ないものが、実はつながっている、という考えはないから。
こうした発想を持っていないから。
ゆえに、より一層我慢しちゃう。
今の状態がアカン、と考える余裕もなく、何とか耐え、今に留まってしまう。
おそらく、こういう状況を抜け出すには、他者の協力が必要なのだろう。
ただ、その人にとって、本気でアカン、と気づくことが学ぶべきことだったりする。
次に、人との縁を疎かにしている人というのは、意外と、親もそういう風にして生きているケースが多い。
親の姿を長い時間かけて見ることで、そうすることが当たり前のように思い込んでしまっている子はたくさんいる。
そんな親の影響を強く受けると、子は人を軽く扱ってしまう。
その子にとっては、人との縁を大事にすることが学ぶべきことなのだろう。
そして、親の姿を見て、人を軽く扱うようになった人は、まずは、親の影響を強く受けていたことを認め受け入れること。
自分が、どうしてそうなったのかを認識すること。
その上で、親は、祖父母にどのようにして育てられたのかを想像すること。
祖父母がどのように親を育てたのかを知ると、どうして、親が自分にそうやって育てたのかがなんとなく分かるようになる。
すると、原因は、祖父母の育て方にあったりすることが分かる。
祖父母の育て方に問題があれば、親にとっては良い迷惑。
だって、親は、その育て方しか知らないため、当然のように、子にも知っている育て方で育てるようになるから。
実は、自分の問題は、三世代にわたる問題だったりする。
祖父母の問題が子である親に受け継がれ、その子である自分にも受け継がれる。
しかも、受け継がれる時に、濃縮されるため、下の代に行けば行くほど問題は大きくなる。
よって、子の幸せを願うなら、まずは、自分自身の問題を解消する必要があるんよね。
無駄に、子に問題を背負わせないためにも…
最後に、一人でいることに耐えることができなくて、すぐ人を求める人や、集団で過ごそうとしている人は、親の愛情や家族の愛情を実感していない人に多い。
愛情過不足による寂しさを人といることで埋めようとしている。
親の愛情によって埋めることができなかった心の空間を他者といることによって、埋めようとしている。
とはいえ、他者といるだけでは、完全に埋まることはない。
でも、いない時よりは埋まるため、他者といることを求め続けてしまう。
こういう人は、他者といるだけでは、自分の心は埋まらないことを理解する必要がある。
そして、愛情や安心を与えることが学ぶべきことなのだろう。
また、他者に求めるのではなく、自分が他者に与えることを学ぶ必要があるのだろう。
受け取る側から、与える側への移行。
こうしたことを学ぶための警鐘だったりする。
けど、多くの人は、この警鐘に気づかなかったりする。
だって、そこまで深く考える人は少ないから。
人生を過ごしていると、何度も何度も同じようなことが起きている場合がある。
とはいえ、よく考えてみないと気づくことができるものではない。
ただ、こういうものって、自分にとって重要なものである可能性が高い。
どうしても学ぶべきもの、乗り越えるえるべきものだったりする。
自分の人生において、自分だけが進む道を示すものだったりする。
ゆえに、何度も何度も起きることって要注意。
それを受け入れ、そこから学ぶと、確実に自分のプラスになる。
しかも、何度も起きている時点で、自分に必要なのは明らかなんやから。
必要でなければ、何度も起きるものではない。
よって、過去にも似たような経験があったなぁ、という感覚は大事。
こういう感覚があるからこそ、過去の経験と結びつけることができるんやから。
たとえ、似たような経験をしても、結びつけることができなければ、ただ単に時が流れていくだけ。
それでは、何にもならない。
自分が気づくまで、似たような問題が、何度も起きるだけ。
できることなら、早めに問題を解決して、次に進んだ方が良い。
その方が、自分のためになるから。
とにかく、人生において似たような経験に敏感でありなよ。
そこには、自分にとって重要なものが含まれているものだから。
自分を成長させる上で、重要なものとなるから。
案外、そんなもの。
サコヤンの独り言
「何度も起きることには、自分にとって重要な情報が含まれている」