マイナスをも受けいれ、それも楽しむ。


すごく大事。


なぜなら、多くの人は、過剰にマイナスを怖れすぎだから。


嫌なことが起きてほしくない、のは分かる。


失敗したくない、という気持ちは分かる。


傷つきたくない、という想いは分かる。


だが、実のところ、今の自分にとって都合が悪いことが起きたからといって、どうってことない。


命がなくなるわけでもなければ、大金を失うわけでもない。


上手くいかなかったからといって、それが絶対的な悪というわけでもない。


だって、誰だって、人生の中で失敗はしているものなんやから。


しかも、第一線で活躍している人ほど、多くの失敗を繰り返しているもの。


失敗はしてはいけないものではなく、失敗ってしても良いもの。


多くの人は、失敗はいけないものとして刷りこまれている。


学校生活において、無意識の内に刷りこまれている。


失敗しては怒られ、悪いことをすれば怒られる。


その上、学校生活においては、それらを人前でされることもよくある。


時には、自分がそうなることもあれば、時には、同級生のそんな姿を見ることもある。


そういうことが繰り返されると、失敗することはいけないこと、怒られることはいけないこと、さらしものにされるようなことはしないこと、といったように思い込む。


失敗はいけないもの、失敗はさらしものにつながる、といった思い込みは、強烈に心に刻まれる。


特に、いじめそのものが、身近にあった人は強く心に刻まれる。


すると、失敗そのものを避けるようになる。


失敗しそうなものは、敬遠するようになる。


失敗するかどうか分からないものとは、距離を置くようになる。


今の自分を守るために。


ただ、現時点でできることだけをやっても、人としての成長は見込めない。


でも、失敗を受け入れることができていないから、失敗に対する負の刷り込みを払拭できていないから、限られた範囲で行動することになる。


限られた選択肢しか選べない状態になっている。


残念ながら、多くの人が陥っている。


そんな中、マイナスなことや都合が悪いことを受け入れている人がその他大勢から抜け出していく。


なんたって、マイナスなことや都合が悪いことを受け入れている人は、選べる選択肢が多いから。


今できることに加えて、今できていないことも選択肢として選べる。


しかも、今できていない選択肢に、大きな可能性があることを知っているんよね。


皆が都合が悪いと決めつけ、避けているものにこそ、チャンスがあることを知っている。


そういうところに、宝があることを知っている。


しかも、その宝を狙っている人って、意外と少ないもの。


なぜなら、都合が悪いと決めつけている大多数の人は、都合が悪いと決めつけた時点で思考が停止しているから。


思考が停止しているため、その先にあるものをイメージできない。


人は、イメージできないものについては、考えることができず、選択肢として存在することができない。


いわば、都合が悪いことを受け入れた人だけが、つかむことができる宝がたくさんある。


この世の中には…


でも、多くの人は、そのことに気づいていない。


自分にとって都合が悪くない選択肢の中だけで選ぼうとするから、多くの競争相手と競う派目になる。


けど、自分にとって都合が悪いことを受け入れると、それだけで、競争相手が少ないフィールドで戦うことができるようになる。


もちろん、それなりの力がないと、戦うことはできないのだが、力がある人にとっては、その方が、自分を活かすことができる。


よって、自分にとって都合が悪いことは、しっかりと受け入れた方が良い。


大概、思い込みによって都合が悪いものとして決めつけているだけだから。


しっかりと向き合ったら、都合が悪いものではないことは多い。


小さい時の刷り込みのままとらえるから、都合が悪いもののように感じてしまっているだけ。


これって、すごくもったいないことなんよね。


だって、自分で選択肢を狭め、自分で自分の可能性を奪っているんやから。


ゆえに、何をもって都合が悪いというのか、今一度見つめ直した方が良い。


命を失うことなのか。


大金を失うことなのか。


大失敗をすることなのか。


些細なミスをすることなのか。


周囲から痛々しい視線で見られることなのか。


どこを基準とするかによって、全然違う。


ただ、多くの人は、些細なことであっても、自分にとって都合が悪いものであれば、避けるようにしている。


あまりにも基準が厳しすぎるんよね。


ある程度のことであれば、よくあること、と受け入れるだけの心の強さを持つことはすごく大事。


些細なことを命を失うほどの都合が悪いものとしてとらえていては、結局のところ何もできなくなる。


大概、都合が悪いと思っていたことが実際に起きたとしても、意外と大丈夫なもの。


起きたら起きたで、ちゃんと対処しているもの。


あらかじめ、避ける必要もなければ、遠ざける必要もない。


あらかじめ受け入れる意識と姿勢を持って臨めば良い。


それに、人生では、何度も何度もやり直すチャンスが与えられている。


一度やって上手くいかなくても、二回目に臨めば良い。


何度であろうと、挑戦できるんやから。


挑戦できる権利は、使い続ける。


すごく大事。


それを自分の心の弱さで放棄するから、ますます、自分の状況が悪くなる。


そもそも、都合が悪い、というのは、自分の心の弱さが決定している基準にすぎない。


自分が楽するための基準でしかない。


そんなものを重要視する必要がない。


だから、どんなことでも、堂々とやれば良い。


だって、本来、共通して都合が悪いものなんてないんやから。


自分にとっての都合が悪いものは、常に、自分のさじ加減で決まるもの。


まったくといって当てにならない基準なんやで。


案外、そんなもの。



サコヤンの独り言

「自分にとって都合が悪いものというのは、自分のさじ加減で決まっており、最初から都合が悪いものなんて存在しない」