相手の幸せにつながることを考えながら、相手と接する。


すごく大事。


なぜなら、相手の幸せを考えていると、出し惜しみすることなく、全力で接するようになるから。


相手の懐に深く踏み込むようになるから。


決して、表面的な関係を築くことにはならない。


今は、多くの人が、自分のことばかりを考えている傾向がある。


相手や他者のことをほとんど考えることなく…


考えたとしても、その場限りのことしか考えていない。


その瞬間での喜びや楽しさといったものにしか目を向けていない。


もちろん、相手に喜びや楽しさを感じてもらうことは大事。


だが、本当に大事なのは、それを継続的に行うこと。


初めから、継続的に、相手に喜びや楽しさを感じてもらおうとすること。


この人の幸せにつながることをしよう、と思いながら接すること。


幸せにつながることをするには、こちらにも、それ相応の覚悟がいる。


生半可な気持ちでは、幸せに感じてもらえることなんてできやしない。


だって、時には、厳しいことを言う必要があるから。


嫌われる可能性があることをする必要があるから。


その人のことを考えると、厳しいことを言うことが必要なこともある。


ただ、多くの人は、厳しい言葉を投げかけることって苦手としているんよね。


なんせ、自分から言って、相手に嫌な想いをさせて、嫌われたくないから。


嫌われないためにも、余計なことをしない。


そうやっている人は多い。


表面的な関係を築いている人は多い。


当然、どうでもいい人であれば、何も言う必要はないだろう。


でも、大切な人だったり、これからも関わっていく人であれば、言う必要がある時にはちゃんと言った方が良い。


ただ、これは、口で言うのは易しいが、実際にやるとそうではない。


では、どうして、難易度が高くなるのか。


それは、大概、自分に問題がある。


自分自身が、無意識の内に厳しい言葉を言われたくない、と思っているから。


自分自身が、無意識の内に他者に対して、自分の懐に深く踏み込んでほしくない、と思っているから。


自分自身が、無意識の内に、他者を受け入れようとしていないから。


自分が相手の懐に深く踏み込めるかどうかは、自分自身が、相手をどれだけ受け入れているかによって決まってくる。


自分が相手を受け入れている度合いに応じて、相手の懐に踏み込める距離が決まってくる。


そして、相手に喜んでもらいたかったり、幸せになってもらいたかったら、相手の懐に深く踏み込む必要がある。


なんたって、懐に踏み込まなければ、表面的な関係しか築けないから。


しばらく会わないだけで、自然に消滅する関係しか築けないから。


こうやって、人と接していれば、相手を喜ばせることもできなければ、幸せにつながるようなこともできない。


人は、人を幸せにすることができるし、幸せにつながることを提供する子ともできる。


ただ、これには、相手の懐に深く踏み込む必要がある。


そのためには、自分の懐にも他者が入ってくることを受け入れる必要がある。


他者を受け入れる度合いを高める必要がある。


他者を受け入れているからこそ、安心して踏み込んでいけるもの。


そして、踏み込んでいける人ほど、人生をより良いものにしている。


どれだけ相手の懐に踏み込んでいけるかは、これからの時代、ものすごく大事なこと。


だって、多くの人が、自分の懐に入ってきても違和感を抱かない人を求めているから。


信用でき、信頼でき、何でも話すことができる人を求めているから。


警戒することなく、安心できる人を求めているから。


ただ、たくさんの人が、育つ過程で警戒心を強めてしまう。


ゆえに、その警戒心を突破して、深いところまで踏み込んでくる人って少ない。


むしろ、警戒心を抱いている人が多く、踏み込もうとしていない。


あえて踏み込んで、かえって、傷つくことを怖れている。


だから、相手の懐には踏み込もうとはせず、表面的な関係を築く。


自分も相手も、互いに牽制し、牽制することによって、距離が縮まらない。


そんなことが起きている。


そして、お互いの距離を縮めるには、次のような方法がある。


思い切って、自分から相手の懐に踏み込むこと。


自分自身の警戒心を解くこと。


相手を受け入れる度合いを高めること。


相手からの反応を待っていても、どうにもならない。


そのため、自分から動くっきゃない。


自分から、行動するっきゃない。


じゃなきゃ、いつまで経っても、相手の懐に踏み込む日はやってこない。


自分を過剰に守ってきた人は、人一倍警戒心が強い傾向がある。


そういう人にとって、警戒心を解く、というのは、抵抗があることだろう。


だが、警戒心を解いたからといってどうなるわけではない。


警戒心を解いても大丈夫、という事実を知る必要がある。


事実を知ることで、警戒心を解き、相手を受け入れる度合いが高まる。


すると、相手の懐に踏み込んでも大丈夫、ということに気づく。


自分の警戒心が弱ければ、相手も、自分のことをあまり警戒しないもの。


自分の警戒心を相手は無意識の内に感じ、それに反応しているだけ。


よって、自分に警戒心がなければ、その警戒心に応じた行動をとる。


相手の警戒心が強いのではなく、自分の警戒心が強かったから、その警戒心に反応していただけなんよね。


相手が悪いのではなく、問題は自分にある。


警戒心を解いて、相手を受け入れる。


すると、相手も警戒心を解いて自分を受け入れてくれる。


他者の言動は、自分の言動を反映したもの。


不思議と、そうなっていることが多い。


相手を見て、自分自身の言動を反省する。


そして、反省して、修正して良い状況になるように持っていく。


そういう意識が大事なんよね。


とにかく、自らを省みて、警戒心を解く勇気、相手を受け入れる勇気、相手の懐に深く踏み込む勇気を持ちなよ。


高い確率で、人生が変わるから。


案外、そんなもの。



サコヤンの独り言

「自分の心を変えることで、相手の懐に深く踏み込むことができるようになる」