自分が弱い、と認めると強くなれる。


誰にだって、弱い部分は存在する。


どんなに優秀に見える人であっても、必ず、何かしら弱い部分を持っている。


自分の弱い部分をどうとらえるか。


それによって、人生は大きく変わってくる。


一般的に、人は自分のことを良く思いたいから、自分の弱さを認めようとはしないもの。


なぜなら、弱いことは、ダメなこと、というような刷りこみがあるから。


自分が弱いことを認めると、ダメな自分を認めるような気がして、認めることを拒む。


弱い部分を見せないように、隠すようにして生きる。


弱い部分をさとられないように、肩肘張って生きることになる。


実は、これって、窮屈な生き方なんよね。


だって、弱い自分、という本質を隠して、自分を偽るようにして生きる方法だから。


多くの人は、育つ過程で、自分を偽るようになる。


心を傷つけないために。


他者と衝突しないために。


自分を守るために。


生きる処世術として、自分を偽る。


こうして、少しずつ自分をごまかし、自分を見失っていく。


たくさんの人が陥っている。


では、どうして、弱い自分を隠すようになっていくのか。


なぜなら、無防備な状態で、心に大きなダメージを負ったことがあるから。


それは、家族の些細な言葉かもしれない。


教師の何気ない言葉かもしれない。


友人の軽い言葉かもしれない。


小さい時に、心にダメージを負うと、自然と自分を守ろうとする。


とはいえ、小さい時に自分を守るといっても、特別なことができるわけではない。


できることと言えば、我慢することくらい。


ただ、これこそが、自分を偽ることにつながる。


なんたって、我慢すると同時に、自分自身を見えない殻で覆うようになるから。


何もない状態では、心にダメージを負うため、我慢ができるように備えるようになる。


考え方を修正したり、感情を抑えたり、違う自分を演じたりして。


そして、これでもダメージを負った場合は、更に、見えない殻で覆うようになる。


心が傷つくたびに、自分自身を覆う殻が分厚くなる。


殻が分厚くなればなるほど、本来の自分から遠ざかる。


でも、分厚くなるスピードがゆっくりなため、本来の自分から遠ざかっていることに当人である自分が気づいていない。


気づかないまま、自分を覆う殻を分厚くしているんよね。


しかも、殻を分厚くする人って、殻を薄くする発想ってないんよね。


薄くすることを怖いものと思いこんでいる。


薄くすると、自分を守ることができない、と決めつけている。


分厚いからこそ、自分を守ることができるんだ、信じ込んでいる。


これらって、すべて偏見。


殻を分厚くすることで自分を守ることができる、という発想を絶対的なものにしているから生じているもの。


過去、分厚くすることによって自分を守ることができた、という成功体験が自分自身を縛っている。


自分を守るには、この方法しかない、と強く思い込んでいる。


確かに、小さい時は、殻を分厚くすることで自分を守ることができたかもしれない。


しかし、大人になっていくと、殻を分厚くするほど自分自身が弱くなる。


なんせ、自分の考えや感情を見せない人になり、自己弁護の言い訳が多い人になるから。


こういう人って、人から協力されないし、人から応援されない。


ゆえに、孤独になりがち。


自分を守るために、殻を分厚くしていたことによって、人との距離が離れ、かえって、危険な状態に陥る。


人は、自分一人で、自分を守ることなんてできやしない。


人と関わることなく生きていると、ドンドン衰退していく。


人とのつながりが、自分を守ることにつながる。


ただ、殻が分厚い人ほど、人とのつながりが薄くなる。


そりゃそうじゃよね。


殻が分厚いということは、無意識の内に他者を敵とみなし、警戒していることを意味するから。


そんな状況を突破して来る人なんて滅多にいない。


だから、表面的な薄い関係ばかり築く。


人とつながっているとは、言えない関係ばかり築く。


それが、自分自身をモロくしている。


よって、一枚一枚殻を脱ぎ、自分を覆う見えない殻を薄くすることが大事。


薄くしていくことで、心を軽くすると共に、人との関係を良好にする。


これができればできるほど、心が満たされていき、人は強くなれる。


もちろん、最初は、殻を脱ぐことは、怖いことのように感じる。


だが、怖いものではない。


単に、自分がそう思いこんでいるだけ。


この思い込みを取り除くことがすごく大事。


思い込みさえ手放せば、怖れは和らぎ、普通にやれるものとなる。


それに、人は、自分を覆う殻が薄い人に惹かれていくもの。


多くの人が集まる人って、相手に壁を感じさせない、警戒心を抱かせない、受け入れる許容量が大きい。


これって、実は、自分を覆う見えない殻の厚さによるものなんよね。


自分を守るためとはいえ、殻の厚さは、警戒心に比例する。


警戒されていると感じれば、相手は、近づかないもの。


相手も警戒して、距離を取るようになる。


人に警戒心を与えず、人を受け入れる許容量が大きい人って、懐の深さを感じる。


こんな人ほど、人としての強さを感じるし、周囲にもそう思わせる。


そもそも、自分を覆う見えない殻の薄さは、本来の自分で生きているかに比例する。


本来の自分で生きている人ほど、殻は薄いもの。


こういう人って、自分の強い部分も弱い部分もしっかりと認め、受け入れている。


弱い部分を隠すのではなく、堂々と表に出している。


ゆえに、人として強い。


弱い部分を出せる、というのは我が小さい証。


我が小さい人ほど、変なプライドや見栄がなく、魅力的に映る。


だから、周囲にも、あの人は、人として強いと思わせる。


案外、そんなものなんよね。



サコヤンの独り言

「弱い部分を認めるごとに、人は強くなる」