自分から動く。
ものすごく大事。
なんたって、誰かが動くのを待っていても、そんなのいつになるのか分からないから。
自分から動くことで、自分のタイミングで動くことができる。
しかも、自分が思う通りに事を進めることができる。
こういうのって、先に動く人の特権なんよね。
後から動けば、どうしても、自分を抑える必要が出てくる。
考えや想いがあっても、ある程度合わせていく必要が出てくる。
それが、先に動くものと、後に動くものの違い。
ゆえに、自分から動くことを日頃から習慣にしていた方が良い。
例えば、自分から挨拶をするなどを心がけて…
挨拶だって、されるからするよりも、自分からした方が清々しい。
能動的で、相手の印象も変わってくる。
こちらからした挨拶に返される挨拶よりも、向こうの方から来る挨拶の方が受ける方も心地良い。
自分の方から率先して動くか。
相手の反応があってから動くか。
タイミングとしてはものすごくチョットの差。
だが、この少しの差が結果に大きな違いを生む。
そして、相手の反応があってからしか動かない人って、いつまでも、その他大勢の中に埋もれてしまうもの。
一方、自分から能動的に動いている人って、自ずと、その他大勢の中から頭一つ抜け出る。
ゆえに、目立ち、上に引っ張られたりして、上のステージに行きやすい。
どちらが良いかは、一目瞭然。
でも、多くの人は、自分から能動的に動きはしない。
なんせ、自分から能動的に動けば、それだけ、傷つく可能性も多くなるから。
傷つくことを怖れている人にとって、自分から能動的に動くことって、やりたくないことなんよね。
受け入れることができず、選択肢として選べる状態ではない。
傷つくことを怖れている人にとって、能動的に動くことってありえないことなんよね。
だって、何の保険もないから。
傷つくことを怖れている人って、動く時、大概、何かしらの保険をかけておくもの。
保険があり、もしも何かがあっても大丈夫。
と思えるからこそ取り組む場合が多い。
そのため、自分から能動的に動くことを敬遠しがち、否定しがち。
だって、自分から能動的に動く場合、大概、保険はないから。
何かあったら、自分自身に降りかかる。
それを受け入れることができているかどうかで、能動的に自分から動くか、相手の反応に合わせて動くかが決まってくる。
けど、多くの人は受け入れることができていない。
育つ過程で、能動的に動くことを手放す。
何かしら保険をかけながら生きる術を身につけて…
相手の動きに合わせて動く術を身につけて…
自分の周りにいる人達の空気や流れに身を委ねるようにして…
そうやって過ごしていると、自ら能動的に動けなくなる。
何かがなければ、誰かがいなければ、自ら能動的に動けなくなる。
こうなっている人って、思っている以上にたくさんいる。
なんせ、日本の教育が、そういう人を増やすようなシステムになっているから。
小学校から、高校まで通っていると、能動的に動くことって、抑えられる傾向がある。
自分一人で能動的に動くことができる人って、やはり少ないもの。
集団の中での自分のポジションを見つけ、そこでの役割を果たす。
自ら能動的に動くことよりも、集団に合わせて動くことを求められる。
だから、集団に合わせて動く人の比率が高い。
おそらく、自ら能動的に動く人って、ほとんどいない。
そういう人って、割合的に少ないものなんよね。
残念ながら…
なぜなら、自ら能動的に動くことを貫き続けることができる強さを持っている人って結構レア的な存在だから。
皆が皆そんな存在ではない。
多くの人が、周囲に合わせて生きる術を身につけ、それを当たり前にしている。
ただ、この習慣は、自分自身をその他大勢の中に埋もれさせる。
皆がしていることを同じようにしていると、そりゃ、その他大勢の中に埋もれてしまう。
よくよく考えてみると、その他大勢の中から、頭一つ抜き出るのって、意外と容易なことなのかもしれないね。
なんせ、他の大勢の人が怖れてやっていないことをやれば良いだけなんやから。
何らかの保険なしに、自ら能動的に動けば良いんやから。
もちろん、最初は、小さなことから始めていくくらいでOK。
自分からの挨拶、自分からの電話、自分からのメールといったものからで…
そして、少しずつ能動的に動くことができるようにしていけば良い。
すると、能動的に動くことが習慣となるから。
その上で、より能動的に生きることができるよう様々なものを手放していけば良い。
されること、してもらうことが当たり前。
相手の動きに応じて動くのが当たり前。
何かをする際には、もしもの時のための保険があって当たり前。
こういった、固定概念を手放していけば良い。
そうやって、能動的な習慣を身につけながら、能動的に生きるには不要な考えを手放し、より能動的に動けるようになっていけば良い。
そもそも、能動的に動くことができる人の方が、人生は得をする。
だからこそ、能動的に動くことができるような人になりなよ。
その方が、様々なものに出会うことができ、より素晴らしい人になることができるから。
それに、能動的に生きることって、特別な人にしかできることではない。
本人が望めば、誰にだってできること。
なんたって、生き方の問題だから。
自分が、能動的に生きる生き方を選べば、その瞬間から、能動的に生きる人生が始まる。
あとは、当人の覚悟や意志の強さの問題。
それさえクリアーすれば、誰にだって、能動的に生きることができるもの。
ただ、多くの人が、クリアーするのを諦めているだけ。
案外、そんなもの。
サコヤンの独り言
「能動的に生きる自分をゆるし、受け入れ、能動的に生きることができるようになりなよ」