人は、何かに依存すると、それなしでは生きることができなくなる。
それがないだけで、心が不安定となる。
自分の心を保つために、何かに依存している人は意外とたくさんいる。
なんたって、依存してしまうものって、思っている以上にたくさんあるから。
親に依存している人もいる。
恋人に依存している人もいる。
ネットに依存している人もいる。
携帯に依存している人もいる。
お酒に依存している人もいる。
タバコに依存している人もいる。
ショッピングに依存している人もいる。
SEXに依存している人もいる。
薬に依存している人もいる。
甘いものに依存している人もいる。
依存する対象って、身の周りにたくさんあるんよね。
しかも、誰もが、何かしらの依存に陥る可能性がある。
なんせ、人は、気が弱っている時って、何かに依存しがちだから。
不安や心配を打ち消すために、何かに頼ろうとする。
そして、何かに依存してしまう。
少しでも安心を得るために…
ただ、一時の心の弱さによって、何かに依存する。
この代償って、自分が思っている以上に大きいもの。
軽い気持ちでタバコを吸って、止めることができず、ヘビースモーカーになっている人もいる。
たった一回の薬で、薬中毒になる人だっている。
些細なキッカケによって、何かに依存してしまうと、その依存を絶ちきることって、難易度が高い。
なぜなら、その依存している対象が、自分にとって当たり前になり過ぎているから。
心の拠り所となり、安心を得るための手段になっているから。
それを無理矢理手放そうとしても、また、つい手が出てしまう。
また、頼り、依存してしまう。
依存することって、一種の中毒のようなもの。
止めようと思っても、すぐ止めることができるものではない。
よっぽど意志が強い人でない限りは…
だから、ずるずると依存している状態が続いてしまう。
特別なことがない限り、止めることなく、続けてしまう。
よって、何かに依存することって、実は、怖いことなんよね。
だって、自分の人生に大きな影響を与えるから。
それに、何かに依存すると、自分自身がアカン方向に進みやすくなる。
しかも、マイナスなエネルギーを周囲に撒き散らす。
自分が良くても、周りが迷惑を被る。
自分だけの問題では収まりきらないことが多い。
何かに依存してしまうと…
すると、周囲との人間関係にもヒビが生じ、結果的に、自分自身も害を被る。
自分のためにもならないし、周囲の人のためにもならない。
それが、依存というもの…
ただ、依存って、自分では気づきにくいもの。
自分で、これに依存している、とは判断しにくいもの。
あまりにも当たり前なものになり過ぎていて…
依存していることに気づかなかったりする。
これが厄介なんよね。
ゆえに、依存を手放すには、何に依存しているのかを認識する必要がある。
その上で、自分が依存していることによって、周囲がどんな迷惑を被っているのかを自覚する必要がある。
自分だけに害がある場合、人は、それに対して強く思いはしない。
でも、周囲の人に迷惑をかけている場合、良心が残っていれば、申し訳ない気持ちになる。
周囲に対して、気持ちを向けることができるなら、止めるキッカケになる。
依存を手放すには、周囲の存在、周囲の助けが重要。
自分一人で手放すことができる人は、あまりいない。
仮に、いたとしても、その人は、軽度の依存の持ち主。
依存している期間が短い人。
期間が長い人ほど、その想いが強く、執着しており、手放しにくくなっている。
これが、現実なんよね。
だが、依存って、大概、マイナスなエネルギーを発し、マイナスな流れを創り出す。
無意識の内に、マイナスなエネルギーを放出していることもありうる。
どんなに人生を良くしようと思っていても、依存していることで、マイナスなエネルギーを発していては、人生は好転していかないもの。
むしろ、自分の想いとは裏腹に、マイナスな方向に進んでいく。
ゆえに、依存は、極力、持たない方が良い。
持ったとしても、なるべく早くに気づいて手放した方が良い。
その方が、人生は好転していくもの。
ただ、気づくためには、自分自身と向き合う必要がある。
膨大な時間と労力をかけて、自分自身と向き合う必要がある。
そうやって、初めて、自分の依存を手放すことができる。
マイナスなものを放出する要因を手放すことができる。
やるだけの価値は、大いにある。
依存って、一時の安心をえら得れることはあっても、結局はマイナスになることが多いから。
長い目で見ると、依存ってない方が良い。
ない方が、人生を楽しく生きることができる。
案外、そういうものなんよね。
サコヤンの独り言
「仮に、自分の中に依存があるなら、それに気づいて手放そう」