人は、受け身的な生き方をついついしがち。


なんたって、日本では、小さい時から受け身的に生きることを強いられる。


なぜなら、教育そのものが受け身的だから。


大概の授業は、先生の話を聞きながら受けるという手法。


不思議と、自分から発する授業ってほとんどない。


授業の八割から九割は受け身的なもの。


そんなものを、十年前後続けていると、そりゃ、受け身的になるのもしかたがない。


どこかで、自分を出す場面を作っていなければ、どうしても受け身的になってしまうもの。


しかも、受け身的な生き方を促すのは教育だけではない。


様々なものが、受け身的な生き方に持っていこうとする。


その最たるものが親。


どの親も、子供に良くなってもらいたいと思っている。


その想いは、当然素晴らしい。


だが、この想いがいきすぎて、子供を支配しようとする親は、意外と多いもの。


自分の思い通りに子供を動かそうとする親は思っている以上に多いもの。


子供のためと言いながら、自分のためにやっていることは、結構多い。


もちろん、子供に教えることは大事、しつけをちゃんとすることも大事。


けど、支配するのは違う。


だって、支配される子供は、受け身的な生き方になってしまうから。


親の機嫌をうかがい、親の機嫌を損なわないように動くようになる。


親を主として、親の言いなりのように動くようになる。


親に支配され、親の言う通りに過ごしてきた子供は、自分自身の意志では、中々、決めることができず、動くことができなくなる。


指示されることに慣れ、指示されることに依存してしまう。


そして、指示がなければ動けないようになってしまう。


親が子を大切にするあまり、子供は、受け身的になってしまうことも…


受け身的に育った子は、その事実に気づくまで、もしくは、積極的に生きようと思えるキッカケがない限りは、受け身的なまま生きるであろう。


親の影響を強く受け、無意識の内に受け身的な生き方を選択している人は山ほどいる。


そのため、積極的に生きることができない人はたくさんいる。


また、小さい時に、親の愛情をあまり感じることができなかった人というのも、受け身的な生き方を選択しやすいもの。


だって、かまってもらいたい、愛情を注いでもらいたい、与えてもらいたい、といった想いを強く抱くようになるから。


満たされていないがゆえに、強く求めてしまう。


だが、思うだけでは、現実になるものではない。


なんせ、受け身的で、待ちの態勢になっているから。


何もしないのに、思うだけで、想いが満たされることなんてほとんどない。


かまってもらいたいなどと、思うこと自体が受け身的な発想なんよね。


しかも、受け身的な生き方を続けていくと、被害者意識、犠牲者意識が強まる。


何をするにしても、被害者の立場になったり、犠牲者の立場になったりする。


自分は悪くなく、悪いのは、自分以外のものという発想になり、自分を擁護すると共に責任転嫁する。


ただ、こんなことをしていれば、高い確率で、人生は上手くいかない。


なんたって、こういう人とは、一緒にいたいと思わないから。


この人のために、何かをしようとは思わないから。


無意識とはいえ、自分で自分が苦しむ生き方を選択している。


自分がこんな選択をしていたことに気づかなければ、ずっと、同じように生きてしまう。


すごくもったいなく、すごく残念でならない。


なぜなら、こうした生き方って、自分の可能性を埋もれさせる生き方であり、自分の命の輝きを弱める生き方だから。


人は、誰もが、素晴らしい可能性を持っており、命を輝かせることができるというのに…


親や教育によって、受け身的な生き方を選択する人は山ほどいる。


その上、多くの人がそんな選択をしたことにさえ気づいていない。


小さい時から、受け身的に生きることが当たり前となり、周囲も受け身的に生きる人が多いため何も気にならない。


何も、支障が出ない。


ただ、受け身的に生きていると、どうしても得るものは少なくなる。


なんせ、この世の中は、積極的に生きた人の方が多くを得るようになっているから。


受け身的に、待ちの姿勢では、中々、得られるものはない。


待っているだけで、何かを与えてもらえるような素晴らしいものを持っている人以外は…


普通、何もせず、待っているだけでは、何も得ることはできない。


当たり前といえば当たり前。


でも、積極的な生き方に憧れたところで、今まで受け身的に生きていた人がすぐなれるものではない。


まずは、受け身的な生き方を選択した要因などに気づき、手放す必要がある。


親や教育、人によっては、もっと他の要因があるだろう。


こうした要因を手放し、心を軽くしてこそ、積極的に生きることができるもの。


人によって、心を軽くするのに必要な時間や労力は異なってくる。


これまで、どのように過ごしてきたかによって、変わってくる。


けど、積極的に生きることができるようになるためにも、できる限り、心は軽くした方が良い。


だって、積極的に生きた方が、多くを得ることができるから。


積極的に、自ら与えることで、かまってもらうことも、愛情を注いでもらうことも、与えてもらうことも、すべて実現する。


親の愛情の過不足によって満たされていない想いって、実は、自分から与えることによって得ることができるものばかり。


自分から与えることができるようになるためにも、積極的な生き方が必要なんやで。


そして、積極的な生き方をするためにも、心を軽くする必要があるんやで。


とにかく、積極的に生きた方が、多くを得ることができることはまちがいない。


ゆえに、少しでも、積極的に生きることができるよう日々意識しなよ。


その積み重ねが、自分自身を積極的に生きる道へと導いてくれるはずだから。


案外、そんなもの。



サコヤンの独り言

「受け身的な生き方で、被害者意識、犠牲者意識を強めるのは止めよう」