人は皆、より良くなるために日々を生きている。
一つ一つすべての言動が、より良くなるために行われている。
長い目で見ると、一つ一つの言動が、より良くなるための過程にある。
もちろん、良いことを積み重ねると、自分のためになることは容易に分かる。
一方、アカンこと、悪いことをするのも、実は、より良くなるための行動なんよね。
一見、アカンこと、悪いことをするのはいけないこととしてとらえられている。
多くの人が知っている。
だが、知っているだけの人は、納得できていない、腑に落ちていない。
だからこそ、そんな人は、アカンこと、悪いことをする必要がある。
なんせ、やらなけりゃ、理解することはできないんやから。
ただ、アカンことや悪いことって、実際にやることで学ぶことはできるが、いつ学べるかは人によって異なる。
長い人もいれば、短い人もいる。
長い人は、自分が学ぶまで、気づくまで、アカンこと悪いことを何度も繰り返す必要がある。
周りの人に迷惑をかけながらも…
それがその人の学ぶ過程。
周りの人からすると、たまったものではない。
けど、受け入れるしかない。
その役割を…
小さい時に悪さを繰り返していた人であっても、何かのキッカケでガラリと変わる。
人が変わったかのように、更生する人もいる。
こういう人にとっては、しっかりと生きるためにも、悪さをする必要があったんよね。
だから、アカンこと、悪いことをするのは、必ずしもいけないことではない。
世間一般的には、悪いこととされていても、その人にとっては必要なことだったりする。
アカンことが必要な人もいる。
それは、事実なんよね。
だからといって、なんでもかんでも許されるものではない。
当然のように、アカンこと、悪いことをすれば、それなりの責任が生じる。
責任を取ることもより良くなるための過程の一つ。
行動だけして、責任を放棄するということは、できない仕組みになっている。
ゆえに、学べる仕組みになっているのかもしれない。
理想を言えば、良いことばかりをして、より良くなれたら一番良い。
でも、それができる人って、意外と少ないもの。
だって、良いことばかりをしていると、角が立つ可能性が高くなるから。
例えば、周りが愚痴や不満を言い合って発散している時に、「愚痴や不満は言わない方が良いよ」と指摘すれば、場が一気にしらけてしまう。
良いことであり、正しいことではあるのに、自分自身がいずらくなる。
良いことや正しいことって、核心を突くあまり、かえって、静まり返ってしまう。
人と人が共に生きる場合、良いことだけではアカンし、正しいことだけではアカン。
少し曖昧にしたり、少しごまかしたり、相手を思う必要悪というものがいるんよね。
思いやりや優しさを育むには必要なことだったりする。
ちょっとしたアカンことというのは、人間関係では潤滑油にもなりうる。
また、アカンことを自分自身が実際にすることによって、痛みを知ったり、優しくなれたりもする。
他者を傷つけることは、良くないこととしてとらえられている。
多くの人が知っている。
だが、実際に傷つけたことがある人と、知識だけで知っている人では、理解度が全然違う。
理解度が異なれば、言葉に込められる想いが変わり、人に伝わる度合いが異なる。
実際に経験している人の言葉は重くなり、知識だけで知っている人の言葉はなんとなく軽い気がする。
よって、アカンことも、長い目で見ると、素晴らしい経験になることは多い。
他者に感心・感動を与えるネタになることは多い。
その時の自分にとってはアカンことでも、受け入れることで他者のためにだってなる。
そのため、アカンことととらえられていることでも、必ずしもいけないことではない。
なんたって、アカンことととらえられていることを経験している人の方が、想いが言葉にのりやすくなっているから。
言葉に重みがある人って、大概、昔、辛い経験をしている。
辛い経験というのは、避けられがちで、アカンこととしてとらえている人は多い。
けど、そういうのを経験している人の方が、人として魅力に溢れているものなんよね。
不思議なことに、人の魅力って、良いことばかりでは、身につかないようになっている。
アカンこと、辛い経験、苦い経験、そういったものを積んでいる人の方が、他人が集うようになっている。
人間味が溢れるようになっている。
ゆえに、長い目で見ると、アカンことや悪いことなんて一つもない。
アカンことや悪いことをと感じるのは、その時だけ。
長い目でとらえる視点がないから、今だけを見てアカンことや悪いことと感じてしまっているだけ。
長い目でとらえると、今は、アカンこと悪いこととして感じているが、きっと自分のタメになる、と思えるようになる。
自分のためになると思えるから、アカンことや悪いことと今は感じていても踏み出すことができる。
前に進むことができる。
そもそも、人は、より良くなるために生きている。
これが前提なんよね。
だから、何をするにしても、迷う必要はない、ためらう必要はない。
「より良くなるためにするんだ」と信じて実際にやれば良い。
何をしようと、自分がより良くなるための行動なんやから。
自分を信じて、やればよい。
決して、疑うことなく…
何だって、堂々とやれば良い。
長い目で見ると、必ずといって、自分のためになることは明らかだから。
自分のためになると分かっていると、行動に対してのハードルが一気に下がる。
下がれば下がるほど、行動に移りやすくなる。
そして、ドンドン、行動を取っていけば良い。
それが、自分のためになるんやから。
良い言動や悪い言動の区別があるのではなく、自分のためになる言動があるだけ。
自分を取り巻く世界はそうやってできている。
案外、こんなものなんやで。
サコヤンの独り言
「実際は、良い言動や悪い言動の区別はなく、自分のためになる言動があるだけ。」