自分自身を押し通す。
時には重要なこと。
なんせ、自分を前面に出し、押し通すことでしかやれないことがあるから。
自分の人生をより良いものにするには必要なこと。
ただ、多くの人は、自分自身を押し通す生活を送っていない。
なんたって、自分自身を押し通すと、どうしても他者とぶつかるから。
押し通したものをすべての人が受け入れてくれるわけではない。
どうしても気に入らない人もいる。
気に入らない人に対して自分を押し通すと、相手の反感を買い、お互いの関係がギクシャクする。
ギクシャクするのが嫌なため、自分自身を押し通すことは、避けるようになる。
また、自分自身を押し出す生活を送らないため、反対の、自分自身を押し殺すような生活を送るようになる。
学校では、平均的に生きることが求められ、自分自身を押し殺す術を覚える。
自分を守る処世術として…
よって、自分を押し出して反感を買うことから逃げる。
当然のように、周囲に合わせるし、周囲に流される。
自分を出さないことで、周囲に溶け込む。
また、周囲と同じことをすることで、自分自身を主張することを止める。
多くの人が、自分自身を押し通すことと逆の方向に走っちゃう。
その顕著なものが想いのこもっていない「すみません」。
何かある度に「すみません」と咄嗟に言う。
とにかく謝ることで、事が大きくならないようにする。
無意識の内に、謝っておけばどうにかなるだろう、と思っている。
たとえ、自分に非がないことでも謝る。
主張してイザコザになるのを避けて…
仮に、相手に非がある場合、それを指摘すると、相手のためにもなる。
ゆえに、主張を避けることって、相手が学ぶ機会を奪っていることでもある。
でも、ちゃんと主張できる人って少ないものなんよね。
指摘して何かを言われることを怖れ、何も言わないでおく。
しかも、自分が謝ることで、その場をどうにか過ごそうとする。
意外と、こういう人は多いもの。
そりゃそうじゃよね。
自分を主張する機会って、普段の生活では、ほとんどないから。
特に、学生の時はほとんどない。
ほとんどない生活を送っていて、自分自身を押し通すことができる方が不自然。
自分自身を押し殺す生活に慣れ、それが当たり前になっている生活で、自分自身を押し通すことができる方がおかしい。
だから、まずは、自分自身を抑えるように、自分自身を押し殺すように過ごしてきたことに気づくことが大事なんよね。
だって、気づくことが、自分自身を押し通すことへの第一歩だから。
気づくことで、「このままではアカン」と思え、修正できるようになる。
意識するからこそ修正できるのであって、意識できないものは修正できない。
当たり前と言えば当たり前。
ただ、何気なく過ごしていると、気づくことさえもできないもの。
そのため、今までと同じ生活がこれからも続いてしまう。
すごくもったいない。
なぜなら、人の可能性は無限大だから。
可能性は誰だって広げることができる。
そして、可能性というのは、自分を主張することで、自分自身を押し出すことで、自分自身を押し通すことで広がっていくもの。
なのに、自分自身を押し殺しているばかりでは、可能性は広がっていかない。
むしろ、自分自身の世界が、ドンドン小さくなっていく。
そういう危険性があるんよね。
自分自身を押し殺すことには…
小さい時に、自分自身を押し殺すように生きていた人は、大概、大人になっても自分自身を押し殺している。
それが当たり前となり、絶対的なものとして思いこんでいる。
自分の中では、それが正義になっている。
決して、絶対的なものでも、正義でもないにもかかわらず…
偏った思い込み、歪んだ思考、こうしたものが、自分自身の足かせとなる。
自分自身を押し殺すというのは、その最たるもの。
無意識の内に、足かせをはめながら生きている事実。
もし、一つずつでも足かせを外すことができていくと、人生は少しずつ好転し楽しくなる。
自分自身を押し通す、というのは、その手段の一つでもある。
もちろん、自分自身を押し通すと、反感を買うこともある。
だが、そんな自分を認めてくれる人が現れる。
しかも、自分のことを応援してくれる存在になることもある。
たとえ、数は少なくとも…
ただ、数の多い少ないは関係ない。
最初から、想いが強く本物であれば、多くの人の賛同を得られる。
でも、最初からそんな人は滅多にいない。
初めは、賛同を得られることの方が少ないもの。
けど、伝わる人に伝え続けていると、次第に賛同してくれる人が増えていくもの。
だからこそ、自分自身を押し通すことが大事なんよね。
押し通し、挑戦し続け、ぶつかっていくからこそ、分かってくれる人が現れる。
自分のエネルギーって、相手にぶつけてこそ、どうにかなるものなんよね。
自分の中に留めていてもどうなるわけではない。
ぶつける手段として、自分自身を押し通す、という手段がある。
これが絶対的な方法ではないが、有効的な方法ではある。
とにかく、自分自身を押し殺す人であることより、自分自身を押し通す人でありなよ。
もしくは、自分自身を押し通すことを意識できる人でありなよ。
自分自身を押し通す道は、やはり、課題は多い。
だが、すごく楽しい道でもある。
よって、自分自身を押し殺すような閉鎖的な世界ではなく、自分を押し通すような開放的な世界を生きるようにするんやで。
こういう状況や環境の方が、楽しいから。
案外、そうなっている。
サコヤンの独り言
「自分自身を押し通すような意識を普段の生活にも取り入れること」