視点をずらす柔軟性を持つこと。
すごく重要。
なんたって、どんなこともたった一面で成り立っているわけではないから。
どんなことも、複数の面で成立している。
プラスがあれば、その反対のマイナスもある。
陽極があれば、その反対の陰極もある。
長所があれば、その反対の短所もある。
様々な面を合わせ持ち、一つのものができあがっている。
人だってそう。
人一人の中には、たくさんの面がある。
今いる立場によって、状況によって出てくる面は様々。
その人の一面だけをとらえて、その人をとらえることなんてできやしない。
たとえ、とらえることができたとしても、ある一面を見ただけの評価でしかない。
ゆえに、決めつけや思い込みでしかない。
だって、人のあらゆる面を見ることなんてできやしないから。
近くにいる家族にでさえ、見せていない一面は誰もが持っている。
ただ、すべての面を見ることができないため、ある面を見てその人を評価しちゃう。
人間像を決めつけてしまう。
なんせ、その方が関係を構築するのは楽だから。
だが、決めつけちゃうからこそ、視点を固定させてしまいがち。
こういう人なんだ、と決めつけ、他の一面を見ようとしないんよね。
どんなに素晴らしい一面を持っていたとしても。
その面を見よう、という発想が生まれない。
発想が生まれないから、いつまで経っても、同じ視点のままなんよね。
でも、人をある一面だけで人間像を判断すると、そこからは何も発展していかない。
時の流れと共に、機械のようにとらえてしまう危険性はある。
一方、様々な面を見る意識を持って接していると、こういう一面もあるんだ、と多くのことに気づかされる。
気づくことによって、自分にプラスになることは多い。
なんたって、良いと思えば、真似ようと思うものやしね。
何か些細なことでも真似て、自分に取り入れると、自分の中に新たなことが一つプラスされる。
実は、これが、成長の源なんよね。
もちろん、一つ加えただけでは、何ら変化は生じない。
けど、数を重ねていくごとに、目に見える変化として現れるようになる。
そして、自分の中にプラスを積み重ね続けることができる人って、視点をずらすことができる人である場合が多い。
そりゃそうじゃよね。
視点が柔軟である方が、多くのことに気づくことができるから。
気づくことが多いから、自分自身を変えることにもつながる。
気づきって、成長する上では欠かせない要素。
気づくためには、一つの方向から見ているわけにはいかない。
なぜなら、芸術家が創る彫刻って、後ろの方から見ているだけでは、大して感じるものって少ないから。
前後左右様々な視点から見ることによって、色々なことを感じるもの。
しかも、前から見て受ける印象と、後ろから見て受ける印象は異なる。
同じものを見ているのに、視点を変えるだけで違ったもののようにさえ感じる。
だから、彫刻を見る際は、多くの人が、様々な視点からその彫刻を眺める。
可能である限りは…
目で見えるものであれば、自ら動き、様々な視点でとらえようとする。
なのに…
目で見えないものにおいては、一つの視点だけでしか見ようとしない人がたくさんいる。
怖れを感じるものであれば、怖れを感じる視点だけからしか見ようとしない。
マイナスを感じれば、マイナスな視点からしか見ようとしない。
怖れを感じるものであっても、視点を変えれば楽しいことを感じることはできる。
マイナスを感じることであっても、視点を変えればプラスを感じることはできる。
視点が固定され、他に目が移らないようになっているんよね。
一つのことしか見ることができないようになっているんよね。
これって、実は、思考や発想が固まることによって起きているもの。
思考や発想が固まることによって、この視点から見るものなんだ、と決めつけてしまう。
本来、どこから見ようと自由であるにもかかわらず…
プラスの視点から見た方がまちがいなく楽しいにもかかわらず…
今までの思考癖や発想の傾向に基づいて、見る視点を無意識の内に決めてしまう。
今までの経験則に基づいて、見る視点を勝手に決めてしまう。
そのため、怖さを感じる。
なぜなら、過去に考え方を歪めた人は、高い確率で、物事をマイナスな視点からとらえようとするから。
特に、自分にコンプレックスを抱いていた人、自己卑下したことがある人、苦い失敗をして解消できていない人などは…
考え方が歪んでしまうと、それに伴って視点も変わる。
考え方と視点って切り離すことができない間柄なんよね。
ただ、考え方を正せば、それに応じて視点も修正される。
よって、どのように考えるかはすごく大事。
視点をずらしたければ、考え方や発想の柔軟性を高めなよ。
決めつけや思い込みはご法度。
そして、自分の中から、決めつけや思い込みが減れば減るほど、自分自身の考え方や発想は柔軟になる。
しかも、これによって、視点が固定されなくなり、どの方向から見るかの自由度が高まる。
そもそも、世界や物事って多方面から見た方が楽しいものなんやで。
いつまで経っても複数の面から見れる人でありなよ。
思い込みや決めつけをせずに…
思い込みや決めつけは、自分にとっては、重いゴミでしかないんやから。
心にゴミは少ない方が、楽しく生きることができる。
これは、まちがいない。
ゆえに、心にゴミが少ない状態を保ち、多方面から見ることができる人でいるんやで。
すると、様々な選択において、楽しい選択を選ぶことができるようになるから。
案外、そういうものなんやで。
サコヤンの独り言
「視点をずらすためにも、歪んだ考え方を正す意識を持とう」