ライバルがいること。
ものすごく大事。
なぜなら、ライバルは自分の力を大きく高めてくれるから。
あいつだけには負けたくない。
あいつだけには負けられない。
あいつだけには絶対に勝つ。
こうした想いが、自分の力を引き上げる大きなキッカケとなる。
自分一人では頑張れないことでも、ライバルが存在しているだけで躍起になる。
ライバルって起爆剤としては、最高のものなんよね。
しかも、ライバルと競い合っていると、知らず知らずの内に壁を超え次のステージに行っていたりする。
お互いがお互いを意識し、切磋琢磨することで共に高め合うことができる。
ライバルとして競い合っているにもかかわらず、最高の仲間でもある。
いや、全力を尽くして競い合っているからこそ、素晴らしい関係が構築されるのだろう。
ゆえに、お互いがお互いをライバルとして認めることってすごく重要なことなんよね。
ただ、現実問題、ライバルと呼べる人を見つけることができない人が山ほどいる。
薄い関係しか築けない人がたくさんいる。
そのため、お互いがお互いを警戒し合い、距離を取ってしまう。
ぎこちない関係を構築し、それを保ち続ける。
多くの人が、やっている。
でも、これって、よくよく考えるとすごくもったいない。
なんたって、人と人が出会い、つながるというのは、天文学的な確率なんやから。
今は、世界に約70億人の人が存在していると言われている。
つまり、人と人の出会いというのは、70億分の1同士の出会いなんよね。
冷静に考えてみると、1つの出会いって、奇跡的なことなんよね。
なのに、出会いを重ねるごとに、出会いに対しての想いが薄まる。
当たり前なこととしてとらえてしまう。
だから、1つの出会いが接点で終わり、線につながっていかない。
線につなげようとする意識が圧倒的に少ない。
もし、どちらかが、線にしようという想いを強めたなら、必ずといって点が線になり、素晴らしい関係を構築することができる。
よって、出会った瞬間に、すべてを判断するのはもったいない。
今の自分に合うか合わないかだけで判断するのは早計。
合う合わないかではなく、どうすれば、1つの出会いを線にすることができるのか。
それが重要。
そもそも、どんな出会いも、初めは接点でしかない。
それを線にしていくかは、各々の想いや意識にかかっている。
そして、線になった人の中にライバルは存在するもの。
当たり前なことだが、初対面では、ライバルにはなりえない。
自分が相手の力を認め、また、相手も自分の力を認めることでライバル、という関係が成立する。
自分がどこまで成長するかは、どれほど素晴らしいライバルを見つけることができるのか。
これにかかっていると言っても過言ではない。
できることであれば、生涯ライバル関係が続くような存在を見つけなよ。
すると、お互いがお互いを高め合い、上限なく成長し続けることができるから。
もちろん、その過程で、お互いが多くのものを得ることができる。
ライバルという存在は、この上ない刺激となるものなんよね。
よく、学生のスポーツでは、ライバルがいた方が早く伸びると言われている。
確かに、まちがいではない。
だが、学生に限ったことではない。
大人であっても言えることなんよね。
むしろ、大人になり、社会人になってから得たライバルの方が自分に与える影響はとてつもなく大きい。
だって、学生の期間は、15年程度だが、大人の期間って平均寿命を参考にすると60年ほどあるんやから。
圧倒的に大人でいる方が長い。
だからこそ、ライバルの存在って重要なんよね。
しかも、できる限り早目に見つけることがすごく大事。
すると、膨大な期間を充実して、素晴らしい時間を過ごすことができる。
だって、ライバルとの競い合いがずっと続くから。
お互いが刺激し合い、高め合っていると、妥協するわけにはいかない。
壁があろうと、乗り越える必要がある。
じゃなきゃ、ライバルに遅れを取ってしまうから。
本当のライバルであれば、ライバルが先に行くのって、許せないものなんよね。
自分がそこに行けないのが許せなくなるんよね。
ゆえに、自分を鼓舞して、前に進もうとする。
次なる高みを目指そうとする。
その上、こうした状況がずっと続く。
否応にも成長するし、良い変化を繰り返す。
ただ、まちがいなく、素晴らしい人生を送ることができる。
振り返った時、楽しい人生を過ごすことができている、と確信することができる。
たった一人、ライバルがいるだけで、人生は素晴らしいものとなる。
それほど大きな存在なんよね。
ライバルというのは…
ゆえに、ライバルを見つけることができるよう意識すると共に、ライバルとして認められるような人になりなよ。
すごく大事なことだから…
サコヤンの独り言
「ライバルの存在が自分の力を高めてくれる」