自分の想いを全力でぶつける。
実は、ものすごく大事。
だが、この重要性に気づいていない人はたくさんいる。
なんたって、多くの人が、自分の想いを全力でぶつける環境で育っていないから。
ゆえに、自分の想いを全力でぶつける方法を知らない。
そんな習慣は築かれていない。
むしろ、自分の想いを全力でぶつけると、周りから浮いた存在になってしまう。
だって、大概の人が、自分の想いを抑えて生きているんやから。
日本人の特長として、そんな中で、自分一人想いを全力でぶつけるようなことはしない。
周りに合わせて、自分も想いを抑えて過ごすようになる。
たとえ、自分の想いを全力でぶつける気があったとしても…
周りに変な目で見られることを怖れ、周りに合わせてしまう。
こうしたことを、小さい時に、学校生活を送る中で、自然と学ぶ。
そもそも、日本にいる場合、自分の想いを全力でぶつけなくても生きてはいける。
ひょっとすると、自分の想いを全力でぶつけない方が角が立たずに、過ごしやすいのかもしれない。
なんせ、自分の想いを全力でぶつけると、それを受ける方は、嫌な感情を抱くかもしれないから。
想いの強さに大きな差が開いていると、迷惑ととらえられることもある。
ただ、自分の想いを抑えて生きていると、正直、大したことはできない。
周りに合わせながら、自分を抑えて生きることくらいしかできない。
その他大勢の中の一人としてしか生きることはできない。
なのに、この状態を良しとしている自分がいる。
おかしいと思わずに、当たり前ととらえている自分がいる。
小さい時から、その他大勢の中の一人として生き、これを当然としているから違和感がないんよね。
学校生活を送ることによって、周りに合わせることを覚え、自分の個をあまり出さないことを覚える。
しかも、自分の想いを出さずに抑えることを覚える。
そうやって過ごしていると、自分の想いを全力でぶつけることの必要性を感じなくなる。
なぜなら、自分の想いを全力でぶつける機会もなければ、これをやる人も周りにはいないから。
そんな状況で、自分の想いを全力でぶつける力を養うことなんてできやしない。
だから、養うことなく、育ってしまう。
また、自分には必要ないものとして認識してしまう。
そのため、自分の想いを出さない生活を続けることになる。
もちろん、この生き方はこの生き方で良い。
だって、そういう生き方もあるから。
でも、自分を抑えて生きていると、人に与える影響は少ない。
その上、誰かの後を追い、誰かに影響を受ける側で生きることしかできなくなる。
こういう環境って、自分に起きる変化って、すごく小さいんよね。
小さいから、以前と同じような日々をずっと続けることになる。
先が読める人生を過ごすことになる。
でも、こんな人生では、すごくもったいない。
なぜ、もったいないと思うかというと、人は誰もが素晴らしい力を持っているから。
力のない人なんて一人もいない。
単に、力がないかのように思いこんでしまっているだけ。
育った環境によって、自然と決めつけてしまっているだけ。
自分の想いをぶつける機会が極端に少なかったため、出す術を覚えることができなかっただけ。
実は、思い込みや決めつけを取り除き、出す術を覚えると、誰にだって、大きなエネルギーを出すことができるもの。
ただ、自分の想いを抑える人達ばかりの中で過ごしていると、こうしたことは、中々できるものではない。
ゆえに、自分の想いを全力でぶつける人が集まる環境に、自分自身の身を置くことが大事となる。
こうした環境に身を置けば、少しずつではあるが、自分の想いをぶつけることができるようになる。
自分の想いを抑えなくても良い、と実感することができるようになる。
共に過ごす人によって、自分を変えることができる。
身を置く環境によって、自分を変えることができる。
だから、自分の環境は自分で整えるよう意識しなよ。
より素晴らしい自分になるための環境を整えなよ。
そうやっていると、まちがいなく、自分の想いを全力でぶつけることができるようになる。
なんせ、目の前にこれを実践している人がいるんやから。
共に過ごすことで、必ずといって、感化されるようになる。
そうなるとしめたもの。
だって、人に影響力を与えることができるようになるから。
多くの人は、自分の想いを抑え、自分の想いを出さずに過ごしている。
そんな中、自分の想いを全力でぶつけると、高い確率で、相手に響く。
自分が発するエネルギーに何かを感じてくれる。
人って、想いの強い人には、なぜか惹かれるもの。
興味を抱くもの。
好意を抱くもの。
ゆえに、自分の想いを全力でぶつけることって大事なんよね。
なんたって、自分の想いを全力でぶつけることで、共感してくれる人が現れるから。
その数が一人、二人と増えていくと、想いの通じ合った集団となる。
より大きなエネルギーの集合体となる。
そして、大きなエネルギーを発揮できるようになる。
一人ではできなかったことが、皆とならやれるようになる。
自分の想いを全力でぶつけていると、自分自身が周りに影響を与えることができるようになる。
自分を起点として、喜びの輪を、笑顔の輪を、楽しさの輪を広げることができる。
こうした輪が少しでも広がっていけば、それだけ、関わった人が今まで以上に幸せになる。
関わった人が幸せになれば、その周りにいる人も幸せになり、小さな社会が幸せになる。
小さな社会が幸せになれば、より大きな社会も幸せになる。
社会を良くすることって、実は、自分起点でやれることもあるんやで。
自分が自分の想いを全力でぶつけていると、自分が思っている以上に広がりを見せる。
意外なところで花を咲かせる。
どの人にも、その人なりの想いがあり、この想いはどれも素晴らしい。
だからこそ、各々が自分の想いをぶつけることってすごく大事なこと。
ちょっとしたことかもしれないが、必ず変化は生じる。
しかも、自分の想いを全力でぶつけることで、今まで知らなかった自分を知ることができるようにもなる。
よって、自分の想いを全力でぶつけることって、自分にも、周りにも素晴らしいことなんやで。
案外、そうなっている。
サコヤンの独り言
「自分の想いを全力でぶつける人であれ」