相手の幸せを願う。


ものすごく大事。


なんたって、相手の幸せを願うと、これを基準にして考えるようになるし、行動するようになるから。


また、相手にとって幸せになることをやろうとし、幸せに反することはやらないようになるから。


人は、誰もが生きている中で、多くの人と接するもの。


だが、人と接する際に、相手のことを想いながら、考えながら接している人って意外と少ないんよね。


大概は、自分のことばかり考えている。


どうすれば、自分が得をするのか。


どうすれば、自分が損をしないのか。


無意識の内に、頭の中でそろばんをはじいている。


相手のことなんて、さほど気にも止めていない。


相手よりも、自分を優先してしまっているんよね。


その証拠に、人と話をする際、相手のことを考えずに一方的に話す人はたくさんいる。


我欲に走り、言いたいことを次から次へと連射する人は山ほどいる。


実は、相手が嫌がっている可能性があるというにもかかわらず…


会話というのは、話す人と聴く人がいて成り立つもの。


だが、単に、話す人と聴く人がいるだけではアカンのよね。


なぜなら、誰しもが、嫌になる話は聴きたくないものだから。


不快を抱く話は、極力、避けたいものだから。


よって、話をする側は、自分の言いたいことを言うのではなく、聴く側の求めることに配慮しながら言う必要がある。


だって、自分が言いたいことを言うのは、自分のエゴであり、身勝手な行動なんやから。


確かに、言いたいことを言えばスッキリするであろう。


けど、自分がスッキリして相手が不快を抱くのであれば、これは、身勝手な行動でしかない。


会話の主人公って、聴く側だったりするんよね。


決して、言う側ではない。


一見、言う側が主人公のように感じるが、会話というのは、聴き手がいないと成り立たない。


聴き手がいてこそ、初めて成り立つのが会話なんよね。


そして、言い手は、自分が言いたいことを言って喜びを感じることから、聴き手が何かを感じてくれている姿を見て喜ぶことにシフトする必要がある。


なんせ、言いたいことを言って喜びを感じるのには、限度があるから。


また、いつまでも喜びを感じることができるものではないから。


もちろん、言いたいことを言って、それが相手のためになっているのであれば、それはそれで構わない。


でも、そういうのは稀。


言いたいことを言っている人の側には、案外、我慢している人がいるもの。


言いたいことを言っている人は、その存在に気づいていないだけ。


無神経で、鈍感で、身勝手極まりない。


ただ、我慢には、容量があり、限度がある。


それを超えると、爆発し、自分自身に大きなマイナスが返ってくる。


例えば、何十年も奥さんに我慢させていた人は、ある時、離婚という形で、財産の大半を譲ることになりかねない。


ゆえに、相手に我慢させるようなことは、言わない方が良いし、やらない方が良い。


そんなことをしても、自分に大きなマイナスが返ってくる可能性を高めるだけ。


自分で自分の首を絞めているようなもの。


相手に我慢させたって、自分に良いことはないんやで。


いつまでも、我慢してくれるとは限らないんやから。


調子に乗っていると、取り返しのつかないことになる。


だからこそ、初めから、相手の幸せを願っていれば良い。


相手が、今以上に良くなることを想っていれば良い。


人と接する時は、こうしたことを意識して接したら良い。


話をする時も、何かを共にする時も、どんなことでも。


すると、その願いや想いは、波動として、相手に伝わるものだから。


ちゃんとした言葉にしていなくても、自分の気が伝わるものだから。


相手の感情が快になるよう、プラスの波動を相手に届ける。


すごく大事なこと。


ただ、ほとんどの人が、意識していない。


そのため、意識して実践していくと、一つ頭が抜き出る存在となることができる。


そりゃそうじゃよね。


人は、快の感情を抱かせてくれる人やものに対して、好意を抱くものだから。


しかも、何度も何度も訪れるようになるものだから。


人であれば、応援したくなっちゃう。


力になれることがあれば、何でもしようと想っちゃう。


そのため、相手の幸せを願って、言葉を選び、行動を選ぶんやで。


この意識や姿勢はちゃんと伝わる。


そして、お互いの距離はドンドン縮まり、より良い関係になっていくもの。


結局は、自分のためになっている。


相手の幸せを願って、一つ一つの言動を取っていくと、相手が幸せになる上に、自分も幸せになる。


決して、幸せの数が一つではない。


これこそが、相手の幸せを願うことの素晴らしい点なんよね。


だって、幸せは一つよりも二つあった方がいいから。


それに、相手の幸せを願っていると、幸せの輪が自分を起点として広がっていくから。


幸せの輪が広がれば、それだけ、世界が良くなっていく。


ゆえに、目の前の人の幸せを願うことは、自分が想っている以上に広い範囲に影響を与えるものなんやで。


案外、そうなっている。



サコヤンの独り言

「何をするにしても、何を言うにしても、相手の幸せを願いながら行うこと」