普段と異なることをやることになったら喜ぼう。


普段と異なることが起きたらどうなるかを楽しもう。


なんたって、自分の流れに変化が生じている証だから。


何かしら変化が生じていなければ、異なることが自分の世界に現れたりはしない。


現れていることこそ、流れが変わろうとしている証。


だからこそ、喜ぶんやで。


楽しむんやで。


すると、より強く意識することができ、流れが変わってきていることを実感できるようになるから。


自分で自分の流れの変化に気づくと、不思議と、今までと異なることが度々起きるようになる。


そして、異なることを一つずつこなしていると、自ずと流れが変わっていく。


ゆえに、普段と異なることが起きた時には、特に意識しよう。


なぜ、今起きたのかを自分に問うてみよう。


自分に問うだけで、その意味を考えるようになるから。


もちろん、意味が分かるに越したことはない。


だが、意味は分からなくとも構わない。


だって、脳には、問いを投げかけると、その答えを探し出そうとする性質があるから。


今分からなくても、時間が流れて分かることなんて頻繁にある。


その証拠に、「あれ何だっけ?」と今思い出すことができなくても、ふとした時に思い出すことってよくある。


これって、投げかけた問いを脳が探してくれたからなんよね。


自分で思い出す場合もあれば、誰かを通じて答えを得ることもある。


手段はともかく、答えを導こうとする。


だから、脳に問いかけることってすごく大事なことなんよね。


ほとんどの人がしていないことだが…


そもそも、人の脳は、ものすごく優秀にできている。


なのに、多くの人は、自分の脳を使いきれていない。


なんたって、自分自身の脳に、言葉やイメージ、問いを意識して投げかけていないから。


意識して投げかけていないと、何が重要なのかが脳は分からない。


自分が大事だと感じたとしても、それが表現として何度も使わなければ、大事なものとは認識しない。


ゆえに、どれも並列として扱われている。


大事なものが何なのかが分からないし、必要ないものが何のかが分からない。


なんせ、どれも同じように扱っているから。


大事なら大事だと、脳に認識してもらう。


何度も何度も表現することによって…


言葉に発することでも良いし、言葉で聞くことでも良いし、イメージすることでも良い。


表現の仕方は、各々の自由。


大事なのは、何度も何度も表現を行うこと。


よっぽど強烈な印象がない限り、人は、一度だけでは、大事なものとして認識しない。


そのため、意識して何回も何回も繰り返すことが大事。


そして、普段と異なることというのは、回数としては一回だから、重要なものとして認識しない可能性が高い。


むしろ、偶然で片付けたり、大したことでないものとして扱われることがよくある。


重要なものを重要なものとして認識できずにスルーする。


なのに、何か良いことがないかなぁ、とつぶやいたりする。


良いことは、既に自分の前を通っているにもかかわらず、自分が気づいていないだけ。


もちろん、普段と異なることが起きたとしても、なんてことないものもある。


だが、何もせずにスルーするのではなく、まずは拾ってみる。


意識してみる。


それから、手放しても全然問題はない。


一つ手間は増えるが、やる価値は大いにある。


そもそも、手間をかけずに何かを得ることって、意外と少ない。


確かに、手間をかけずに何かを得ることができれば、楽かもしれない。


でも、実際は、手間をかけている人の方が多くを得ており、手間をかけない人の方が得ていないもの。


だからこそ、少しの手間を惜しむことなくかけること。


少しの手間が大きなことにつながり、結果的に、たくさん得ることだってあるんやから。


少しの手間なら、誰だってできる。


チョット意識を変えるだけでどんな人だってできる。


ゆえに、やってみたらよい。


自分が思っている以上に、良い反応が返ってくるから。


ありがとうの言葉が返ってくることが多くなるから。


しかも、手間をかけていると、それが当たり前となり、更なる手間をかけるようになっていく。


手間をかけるレベルが上がるごとに、自分自身も成長する。


そのため、手間をかけることができる人でありなよ。


もちろん、今の自分にできる手間で良い。


些細なことを意識することでも良いし、エレベーターに乗ってきた人に下りる階を聞くことでも良いし、知り合いに自分から挨拶をかけることでも良い。


必ずしも、しなくても良いことをわざわざする。


こういったところに、成長できる要素はふんだんに含まれている。


普段やらないものをやるようになった際、あえて、なぜやるようになったのか、何の意味があるのか、といったことを意識する。


これだけで、全然違う。


また、一つの手間が、自分の人生を変えるキッカケとなる。


決して、馬鹿にはできない。


考えなくても、意識しなくても過ごすことはできるが、あえて、一つ手間を加えて考えるんやで、意識するんやで。


こうしたちょっとした手間をどれだけ積み重ねていけるかは、人生においてすごく重要なことなんやで。


案外、そうなっている。



サコヤンの独り言

「普段と異なることを何かやるようになった場合は、あえて、その意味を意識しよう、」