自分の感覚を信じて動く。
ものすごく大事。
だが、実際にやれている人は少ない。
なんたって、自分の感覚を信じることができなくなっている人は山ほどいるから。
自分の感覚を疑うようになっている人はたくさんいるから。
育つ過程で、心を傷つけてしまって…
物事を偏った視点でとらえるようになってしまって…
自分の感覚を信じて上手くいかなかった経験をしてしまって…
人は皆、育つ過程で、たくさんの失敗を積み重ねるもの。
そして、失敗をした時、すぐその失敗を認めそこから何かを学び、次につなげることができる人って意外と少ないもの。
多くの人は、失敗した時、気を落とすし、それを引きずったりするもの。
特に、小さい時はそう。
ただ、失敗して気を落とし、引きずったりすることで、自分の感覚を信じることができなくなっていく。
自分の感覚を疑うようになっていく。
自分でも気づかない内に…
そのため、次第に、自分の感覚を信じて動くことを止めてしまう。
すると、誰かの感覚に追随するようになっていく。
ただ、誰かの感覚に追随するようになると、誰かの感覚に依存するようになってしまう。
誰かがいなければ、自分で考えることも、動くこともできなくなる。
自分の人生だというのに、誰かがいなければ何もできなくなっていく。
しかも、自分の感覚を信じて動かなければ動かないほど、自分の感覚を信じることができなくなっていく。
人生において、使わないものは、ドンドン衰えていくもの。
衰えてしまえば、より一層使わなくなる。
その上、使う機会が少ないから、必要ないものとしてとらえてしまう。
よって、自分の感覚を疑ったまま生きていくことになる。
でも、これはすごくもったいないこと。
だって、人の感覚というのは、計り知れない力が宿っているものだから。
感覚を鍛えて鋭くすればするほど、より大きな影響を与えることができるようになる。
中には、世界を一変する人だっている。
実は、人に備わっている感覚というのは、これほど素晴らしいものなんよね。
なのに、自分の感覚を信じることができている人が少ないのが現実。
当たり前といえば当たり前かもしれない。
なぜなら、小学校、中学校、高校、大学と16年程度の教育で、自分の感覚を信じることができなくなる人は多いから。
自分の感覚を信じることができるようになる人より、自分の感覚を疑う人の方が多くなってしまう。
その証拠に、思ってすぐ行動に移せる人って少ない。
大概の人は、思って、考え、悩み、それで行動に移そうとする。
行動に移せたらまだ良くて、考え続け、悩み続け結局行動に移せない人もたくさんいる。
自分の感覚を信じている人ほど、思ってからの行動が尋常ではないほどに早い。
一方、自分の感覚を疑っている人ほど、行動までの時間が尋常ではないほどに遅い。
そして、この差は、自分が思っている以上に大きな差となって現れる。
なんたって、自分の感覚を信じている人は、次から次へと行動を繰り返しているから。
なのに、自分の感覚を疑っている人は、一向に行動しようとしないから。
自分の感覚を信じている人が10動いているにもかかわらず、自分の感覚を疑っている人は1も動いていなかったりする。
この差は、時が経過すればするほど大きな差となって現れる。
最初は差がなくとも、月とスッポンくらいに差が開く。
ただ、どの人も、好きで、自分の感覚を疑うようになっているわけではない。
知らず知らずの内に、信じることができなくなり、いつしか、疑うようにして生きてしまっているんよね。
心に傷を負い、その傷を癒やすことなく過ごすようになって…
心に傷を負えば、それに縛られ考えや想い、意識が偏ってしまう。
しかも、どうしてもマイナスに傾いてしまう。
だから、自分自身の感覚をプラスにとらえることができなくなる。
本当は、プラスにとらえることがすごく重要なことなのに…
でも、こういったことを教えてくれる人はほとんどいない。
そのため、多くの人は、心に傷を抱えたまま、自分の感覚を疑うようにして生きてしまう。
自分の感覚を信じて生きれば、人生は全然違ったものになるというのに…
この事実を知ることなく、自分の感覚を疑ったまま生きる。
誰かの感覚に追随したまま生きる。
自分の人生だというのに、誰かの脇役として生きる。
すごくもったいない。
なぜなら、人は皆、自分の人生を主役として生きることができるんやから。
自分さえ主役として生きることを決めれば、その人は、主役として生きることができる。
けど、自分の感覚を信じることができない人は、主役としての自分も疑う。
自分にはなれっこない、とやってもいないのに否定する。
そんなものなんよね。
そして、自分の感覚を信じる人や、自分の感覚を疑う人にはそれぞれ特徴がある。
自分の感覚を信じる人は、思ったらすぐ行動に移す。
一方、自分の感覚を疑う人は、思ったらすぐ、それを否定する。
「でも」「だって」「自分には無理だろう」といった言葉を使って…
ゆえに、自分の感覚を信じる人と疑う人では、人生において大きな差が生じてしまう。
ただ、今、自分の感覚を信じることができていない人でも、自分の感覚を信じることができるようになれるもの。
自分さえ、その気になれば…
そもそも、自分の感覚を疑ったって、決して、自分のためにはならない。
だから、自分の感覚を信じることができるよう日々意識して過ごした方が良い。
その方が、自分のためになることはまちがいないから。
意識したら、意外とやれるもの。
意識しないから、やれないだけなんよね。
意識しなかったものを意識するようになると、少しずつ変化は着実に現れていく。
案外、そんなものなんやで。
サコヤンの独り言
「自分の感覚を信じよう。そして、思ったことはすぐ行動に移そう」