人は、異なる行動をして異なる環境に行っても、大概、やっていける。
なんたって、自分がする行動というのは、自分が意識できるもので、思いつくことができるものばかりだから。
できないものは意識すること自体できないし、思いつくこともできないようになっている。
ゆえに、意識できている時点で、やれないものではない。
ただ、異なる行動をして異なる環境に行ってもやっていける、と信じることができている人は、意外と少ないもの。
多くの人は、自分ではやってはいけない、と思い込んでいるし、決めつけている。
自分自身の力を低く見てしまって…
今の自分の力を基準にしてしまって…
自分の中にまだ眠っている力があることを信じることができなくて…
自分自身を低くとらえ、しかも、低くとらえた自分をMAXととらえると、今いる世界に留まろうとする。
今の自分の枠を超えるような考えも行動もしなくなる。
むしろ、拒絶するようになるし、意識することもできなくなる。
自分を低くとらえることによって、自分の世界はドンドン小さくなっていく。
しかも、自分を信じることができなくなり、自分に眠っている力があることさえ信じることができなくなっていく。
無意識の内に、今の自分を、今いる世界をMAXととらえしまうんよね。
本当は、全然MAXではないとうのに…
自分がMAXと思い込んでいるだけというのに…
まだまだ眠っていて使われていない力はたくさんあるというのに…
本来なら、やっていける力を備えているにもかかわらず、やれないと決めつける。
ものすごくもったいない。
だって、自分の可能性が開くチャンスを自分で閉ざしてしまっているんやから。
自分が成長する機会を、自分で奪ってしまっているんやから。
自分の潜在的な力を無視した状態で何もかも決めつけてしまっているんやから。
そもそも、人の可能性には限りがない。
今までどのように過ごしていようと…
今が何歳であろうと…
今がどんな状況であろうと…
こういったことによって、可能性はなくなったりはしない。
どんな人にも、膨大な可能性は備わっているもの。
人から、可能性はなくなったりはしない。
そういうものなんよね。
可能性というのは…
ただ、自分自身で可能性を閉ざすことはできる。
自分の可能性を無視したり、否定したり、ないものとして扱えば…
そして、多くの人は、無意識の内に育つ過程で自分の可能性を閉ざしてしまう。
自分が望む日々を送れないことを繰り返すことによって…
上手くいかない自分に妥協することによって…
やっても意味がないと決めつけることによって…
少しずつ少しずつ、自分の可能性を信じることができなくなっていく。
おそらく、多くの人が陥っている。
心に傷を負い、傷を癒やすことなく傷を抱えたまま日々を過ごすことで…
しかも、傷が癒えていないにもかかわらず、また新たに心に傷を負う。
傷ばかりが増え、心のダメージを積み重ねる。
すると、自分自身のあらゆるものが制限されていく。
そのため、考えも行動も徐々にマイナスに向かっていく。
終いには、マイナスに基づく考えや行動しかできなくなっていく。
だから、やっていける、と思えなくなる。
マイナスな想いや発想に支配されていては、やっていける、と思えるものではない。
マイナスに支配されている状態で、プラスなことを思っても、実際に行動に移せるものではない。
頭ではやろうとしても、心がブレーキをかけてしまう。
強い抵抗を感じて、行動までつながらない。
ゆえに、まずは、マイナスな想いに支配されている度合いを和らげる必要がある。
その上で、自分の可能性を少しずつ少しずつ信じていく必要がある。
自分の可能性を信じるためにも、過去を振り返り、成功体験を一つずつ思い出していこう。
過去を振り返り、異なる環境に身を置いたことで、今まで使われていなかった力を使うようになったことを思い出そう。
人は、異なる環境に身を置くようになると、そこに適応するために、それまで眠っていた力が目覚めるもの。
おそらく、大概の人がこのことを経験している。
自分で自覚していない人は多いが、大概の人が経験しているもの。
そういえば、あれができるようになったなぁ。
と思うことができたらしめたもの。
だって、自分は、過去に自分の可能性を広げたことを認識できているから。
やったことがないことをイメージすることは、結構難しいが、やったことがあることをイメージするのは、意外と簡単にやれる。
ゆえに、今の自分にとっての異なる行動でも、容易にやれるようになる。
なぜなら、異なる行動を不安や怖れの対象としてとらえるのではなく、自分の可能性を広げるものとしてとらえることができるようになるから。
不安や怖れとしてとらえると、警戒や拒絶につながりやすい。
だが、自分の可能性を広げるものとしてとらえると、楽しいものとしてとらえることができるようになる。
まだ知らない新たな自分を知ることというのは、人は、ワクワクできるものなんよね。
なんせ、成長している実感を抱くことって、多くの人にとって喜びの対象となるから。
だから、異なる行動や異なる環境で生きることを、楽しさや喜びの対象としてとらえることができるようになる。
自分の可能性を全然信じることができない場合は、異なる行動や異なる環境に対して、不安や怖れは膨らむばかり。
けど、自分の可能性を信じることができるようになっていくと、異なる行動や異なる環境は、楽しさや喜びを得ることができるものとなる。
ちょっとした違いが、大きな差を生み出す。
そもそも、自分の可能性って、信じようとすれば、ちゃんと信じることができるもの。
自分の可能性を信じることができていない人って、最初から、信じようとしていない。
信じることができないのではなく、信じようとしていないだけ。
信じようとしない考えに縛られ、信じようとしない習慣を築いているだけ。
ゆえに、偏ったとらえ方をしている事実に気づけば、誰だって信じることはできるもの。
多少、時間はかかるけど、不可能ではない。
そして、自分の可能性を信じると異なる行動も容易にできるようになっていくし、異なる環境でもやっていけると思えるようになっていく。
案外、そんなもの。
サコヤンの独り言
「本来、人は、普段と異なる行動もできるし、異なる環境でもやっていけるもの」