今の自分の生き方は、決して、絶対的なものではない。


生き方というのは、変えることもできるし、自分で選ぶこともできる。


今の自分の生き方というのは、膨大な生き方の内の一つに過ぎない。


無意識の内に、今の生き方を選び、それに従って生きているだけ。


育った環境、出会ったものなどから多くの影響を受けながら、自分独自の生き方を選んでいるだけ。


とはいえ、今の自分の生き方がすべてではない。


だが、多くの人は、今の自分の生き方がすべてであるかのように思い込んでいる。


今の生き方しか意識することができていないし、今と異なる生き方に関しては眼中にない。


だから、今の生き方をこれからも貫こうとする。


しかも、今の生き方のまま生きることって、すごく楽なんよね。


何かをゼロから始める必要はないし、余計な不安やストレスを感じなくて済む。


また、今の生き方でなんとかなっているという実績があるから、安心安全も感じることができている。


そのため、今と異なる生き方を選ぶ、ということは中々しない。


よっぽどのメリットを感じなければ…


人は、今どんな環境にいたとしても、その環境にメリットを感じるもの。


ゆえに、一つの環境に留まろうとするもの。


ただ、現時点で、自分の可能性を最大限に引き出している人というのは、ほとんどいない。


今の生き方に妥協するというのは、自分の可能性を捨てる選択でもある。


そもそも、自分の可能性というのは、やったことがないことをやることによって、発揮されていくことが多い。


やったことがないことをやることによって、学ぶし、気づくし、適応しようとする。


こうして、今までと異なる視点で世界を見るから、世界が今までと異なるものに見えるんよね。


今までと異なる世界で生きると、そこに適応しようとする過程で、今まで使われていなかった力が使われるようになる。


眠っていた力が、環境の変化による刺激で目覚め、普通に使えるものになる。


今までと異なる力を使えるようになれば、自ずと、歩み方も変わっていく。


歩み方が変わっていけば、自然と、自分の世界も変わっていく。


見るもの、触れるもの、出会うものが変われば、それに応じた世界が創られていくもの。


今までと異なる生き方を選べば、それに応じた世界で生きることとなる。


当たり前といえば、当たり前。


でも、多くの人は、今までと異なる生き方を自らの意思で選ぼうとはしない。


今の生き方に妥協して…


異なる生き方に怖れを抱いて…


異なる生き方を今の自分の常識でとらえて…


異なる生き方に対して、偏った思い込みを抱いてしまっているんよね。


そして、今の自分を基準にして考えると、異なる生き方というのは、選びにくいようになっている。


だって、異なる世界を今の自分のままで生きようとしているから。


もちろん、ベースは今の自分ではある。


ただ、自分の中には、まだ使われていない力が眠っていることを、つい、忘れがち。


どんな人も、今がMAXではないし、すべての力が使われているわけではない。


異なる行動をして、異なる環境に行けば、必ずといって今まで使われていなかった力が発揮されるようになる。


なんせ、そうしなければ、自分を守ることはできなくなるから。


しかも、必要なくなったものは、使わなくなっていく。


淘汰されると共に、必要なものを新たに使うようになる。


こうして、人は環境に適応していく。


ゆえに、自分の可能性を信じることができている人は、今までと異なる行動にすぐ取りかかることができるもの。


抵抗なんて感じることなく…


なぜなら、行動することによって、まだ知らなかった自分と出会うことができることを知っているから。


自分の中に眠っている力は、何もしなければ眠ったまま。


だが、刺激を与えると、目覚めるようになっている。


目覚めるまでどんな力が眠っているかは分からないもの。


刺激を与えて初めて分かるようになっているんよね。


やってからのお楽しみ。


やることが楽しみになっていれば、今までと異なる行動だって、容易にやれる。


まだ見ぬ自分と出会うことを楽しむ。


この意識、感覚ってすごく大事なものなんよね。


なんたって、今の自分がMAXではないことを自覚しているから。


自分自身が未完であることを自覚しているから。


自分の可能性を信じているから。


今の自分だけを見ていると、自分に可能性があることを忘れる傾向が強い。


けど、どんな人にも、素晴らしい可能性が秘められている。


後は、これをどこまで強く信じることができるか。


強く信じれば信じるほど、今までと異なる生き方を楽しむことができるようになる。


だって、異なる行動や異なる環境による刺激で、まだ知らなかった自分を知ることができるから。


今回は、どんな自分を知ることができるのだろう。


と思えば、異なる行動が単なる楽しむための手段となる。


楽しむための手段となれば、容易に取りかかることができる。


そして、簡単に、異なる生き方を選ぶことができる。


案外、そうなっている。



サコヤンの独り言

「自分の中に眠っている可能性を信じると、今までと異なる生き方を選びやすくなる」