人は、緊迫した場面においては、胸がドキドキするもの。


緊張が高まり、普段の自分ではいられなくなる。


多くの人にとってそう。


ただ、ドキドキと言っても、すべてが同じドキドキではない。


なんたって、喜びに基づくドキドキもあれば、怖れに基づくドキドキもあるから。


そして、緊迫した場面で、喜びに基づくドキドキを抱くのか、怖れに基づくドキドキを抱くのかでは、全然違う。


だって、喜びに基づくドキドキであれば、ワクワクしてより一層前に進むようになる。


だが、怖れに基づくドキドキであれば、身構えたり、警戒したり、逃げ出したりする。


ドキドキするといっても、その基になっているものによってどんな行動を取るかが変わってくる。


これは、おそらく、過去の経験によって各々異なるのであろう。


喜びに基づくドキドキを経験しているなら、高い確率で今も喜びに基づくドキドキを抱くことができるもの。


一方、怖れに基づくドキドキを経験しているなら、高い確率で今も怖れに基づくドキドキを抱くだろう。


喜びに基づくか、怖れに基づくかでは、全然違った人生を歩むようになる。


なんせ、ドキドキというのは、今の自分の環境を自らの意思で変えようとする時に抱くことが多いものだから。


環境を変えようとしている際に、もし、怖れに基づいたドキドキを抱くのであれば、その人は、高い確率で環境を変えることができずに終わるだろう。


怖れに基づいたドキドキを抱いていることに気づくまでは…


なんたって、環境を変える際に抱くドキドキによって、警戒心を強めてしまうから。


警戒心が強いと、中々、最初の一歩を踏み出すことができないもの。


身構えていては、今居る環境に留まってしまうもの。


だからこそ、今の自分の環境を変える際には、喜びに基づいたドキドキを抱けるようにしておくことが大事となる。


ドキドキを楽しみ、新たな環境を受け入れる。


そんな姿勢や意識があるからこそ、未知なる環境に踏み出していけるもの。


今の自分の環境を変えたくて変えることができない場合、大概、無意識の内に怖れに基づくドキドキを抱く習慣を築いているもの。


自分が気づかない間に…


怖れに基づくドキドキを抱く習慣を築いているから、無意識の内に、大きな抵抗を感じてしまう。


なぜなら、人は、変化を嫌う傾向があるから。


今いる環境を良しとして、新たな環境に移ることを否定しがち。


特に、怖れに基づいている人は、この傾向が強い。


やったことがない行動を警戒し、未知なる環境に進むことに怖れを抱く。


前提がこうなっているため、やったことがない行動をする際には、大きな抵抗を感じることになる。


頭ではやろうと思っても、それを実際にやれなかったりする。


自分の心が怖れに支配され、メンタルブロックがかかってしまっている。


だから、やれないんよね。


そもそも、人は、小さい時から、何度も何度もドキドキした経験を持っているもの。


ただ、その後、どう思ったのかが、ものすごく重要なんよね。


結果はともかく、どう思ったかが肝となる。


プラスなことを思えば、高い確率で喜びに基づくドキドキを抱く習慣を築いているだろう。


一方、マイナスなことを思えば、高い確率で怖れに基づくドキドキを抱く習慣を築いているだろう。


おそらく、小さい時というのは、芳しくない結果を出すと、大概、マイナスにとらえるため、多くの人は怖れに基づいたドキドキを抱く習慣を築いているであろう。


芳しくない結果を良い方向から見るなんて、小さい時には、中々、できしないもの。


そして、その後、ドキドキをプラスにとらえる経験がないまま育ってしまうと、その人は、高い確率で怖れに基づいて生きてしまっているだろう。


ゆえに、どんなことでも良いから、ドキドキとプラスな感情を結びつける経験ってすごく大事なことなんよね。


怖れから自分自身を解放するためにも…


無意識とはいえ、喜びを前提とするのか、怖れを前提とするのかでは、人生は全然違ったものとなる。


なのに、多くの人は、怖れを前提としたまま生きてしまっている。


自分でも気づかない内に…


怖れを前提とすると、どうしても、限られた世界で、かつ、小さな世界で生きることとなる。


なんせ、新たな行動や未知なる環境を避けるようになるから。


怖れを前提とする、ということは、多くの選択肢を排除する選択でもある。


今自分がいる環境を絶対的なものとして、この環境の外にあるものを捨てる選択でもある。


今自分がいる環境というのは、全体から見ると、チョビットでしかないのに、それをすべてだと思い込むなんて、すごくもったいない。


今いる環境なんて、高が知れている。


必死になって固執するほどの価値があるものではない。


だって、世界には、今以上に素晴らしい環境なんてのは、膨大にあるんやから。


怖れに基づき、今いる環境に執着するのは、井の中の蛙でしかない。


今いる環境は、決して、MAXではない。


もっと広い世界に目を向けようではないか。


怖れを手放すだけで、人生は大きく変わっていくものだから。


今は、大昔と異なり、怖れを抱かなければならない時代ではない。


むしろ、今の時代、怖れを抱く必要性はほとんどない。


なぜなら、何をしたからといって、命を落とすようなことなんて、滅多にないから。


だから、最初から、喜びに基づいて生きても大丈夫なんやで。


ドキドキだって、喜びに基づいて抱いても大丈夫なんやで。


その方が、自分の人生は今以上に輝いていくもの。


多くの人は、知らず知らずの内に、怖れに基づいて生きているが、何も、怖れに基づいて生きる必要はない。


怖れに基づいて生きていることに気づいたなら、遠慮なく怖れを手放せば良い。


怖れを手放し、楽しむことができるようなことを前提として生きたら良い。


喜びや楽しさに基づいて生きる選択をしたら良い。


なんせ、人は、各々が選択することができるんやから。


無意識の内に怖れを選択していたのなら、意識して別なものを選択する。


そうやって、自分を変えて、自分をより良い方向へと導けば良い。


これは、誰にだってできることなんやから。


案外、そんなもの。



サコヤンの独り言

「喜びに基づいたドキドキを抱けるようにして、より良い人生を歩んでいこう」