今までと異なることをやってもどうってことない。
やったらやったで、意外とアッサリしているもの。
何をしようと自分は自分。
自分として生きている以上、何をしたって構わない。
何かをしたからといって、特別何かが変わるわけではない。
だって、やった瞬間、それは、自分にとって普通なことになるから。
たとえ、やったことがないものでも、やってしまえば、それが当たり前になる。
ゆえに、何だってやればよい。
自由にやれば良い。
怖れなんて抱く必要はない。
なんせ、特別なことではないんやから。
怖れを抱くと、それを特別なものとみなしてしまい、行動に取りかかりにくくなる。
わざわざ特別なものとみなし、身動き取れないようにしたって意味がない。
自分が苦しくなるだけで、自分のためになることではない。
だから、心柔らかにして、何だって受け入れる姿勢でいることは重要。
今までやったことがあることと今までやったことがないことの間に、境界線を設ける必要はない。
本来は、そんなものはなく、自由に行き来できるものなんやから。
境界線を設けて区切ってしまうから、境界線の向こうを特別なものとみなしてしまっている。
ただ、これは、すごくもったいないこと。
なんたって、境界線の向こうにある多くのものを得ることができなくなっているから。
境界線さえなければ、何も気にすることなく前に進み、多くを得ることができるというのに…
ただ、境界線を設けているのは、自分自身なんよね。
決して、他の誰かに強制されているわけではない。
自分が無意識の内に、境界線を設けてしまっている。
しかも、様々な方向に境界線を設けているため、境界線によって枠が出来上がっている。
そして、その枠の中で生きている自分。
この枠というのは、心に傷がない人、何かにとらわれていない人、不要な思い込みがない人というのは、枠があってないようなもの。
そのため、様々なことにチャレンジできるし、色々なところに自由に行き来できる。
だが、心に傷を抱えている人、何かにとらわれている人、不要な思い込みを抱えている人は、枠がしっかりと定まっている。
しかも、こうした度合いが強ければ強いほど、枠の大きさは小さくなっていく。
だから、小さい枠の中に自分を収めて生きるようになる。
また、枠が小さいと、やれることにも限りがある。
本来ならやれることでも、やれないものととらえてしまう。
ゆえに、今までと異なる行動なんてものは、やれないものとしてみなしてしまう。
そもそも、自分ができる行動というのは、自分自身が設けた境界線で区切られた枠の大きさで決まってくる。
枠が大きければ大きいほど、やれることは増え、得るものは多い。
一方、枠が小さければ小さいほど、やれることは減り、得るものは少ない。
ただ、枠が大きいことを望む人は多いが、実際に、枠を大きくするために動く人は少ない。
枠を大きくすることよりも、今ある枠を保つことに精力を費やす。
でも、今の時代、今ある枠を保つために動いていては、少しずつ枠は小さくなるもの。
よって、意識して今ある枠を大きくする必要があるんよね。
そのために、今までと異なる行動が必要となる。
今までと異なる行動ができるほどに、心に余裕を持つことが必要となる。
なんせ、今ある枠の範囲内だけで考えていると、今までと異なる行動には意識が向かないから。
意識が向かなければ、やれるものではない。
けど、意識さえ向けることができれば、今ある枠を少しずつではあるが大きくしていくことはできる。
もちろん、一度に大きくする方法もありはするが、それができるのは、現時点で大きな力を備えている人。
多くの人ができることではない。
ゆえに、まずは、些細なことに挑戦することをお薦めする。
なんたって、些細なことなら、高い確率で上手くいくから。
とにかく、上手くいった、という実感を得ることがすごく大事。
上手くいったという実感は、自分に自信を与え、より一層前を向くことができるようになる。
目に見える変化は現れないが、自分の想いや意識に前向きな変化が生じる。
こういったことを積み重ねていると、徐々にではあるが、自分の想いや意識が前向きなものになっていく。
すると、自ずと目に見える結果が現れるようになる。
だって、前向きな想いや意識を持っていれば、自然と前向きな行動を取るようになるから。
そりゃ、結果も出るわな。
些細なことに挑戦して、上手くいったことを自覚し、少しの自信を得る。
これを積み重ねる。
すごく大事。
この方法は、時間はかかるかもしれない。
だが、プレッシャーを与えずに自分の自信を育むには効果的な方法。
心に傷を負っている人からすると、もってこいの方法。
なぜなら、些細なことへの挑戦でも、一つずつでも積み重ねていると、やっても大丈夫なんだ、という想いが強くなっていくから。
そして、行動に対しての抵抗がドンドンなくなっていくから。
抵抗がなければ、どんな行動だってできるようになる。
もちろん、すぐさま結果が出るわけではない。
ただ、これは、後々に結果を出すための準備とも言える。
なんせ、結果が出る行動というのは、自分の心、想い、意識といったものが整っていなければままならないものだから。
結果を出せる行動をできるようになるためにも、些細な行動で自分の心、想い、意識といったものを育みつつ整える。
あまり意識されていないことだが、すごく大事。
意識しているのとしていないのでは、雲泥の差が出るもの。
案外、そうなっている。
サコヤンの独り言
「些細な行動の場合は、特に、今までと異なる行動を取ったとしてもどうってことない」