なんとかなると信じる。


しかも、心の底から。


すると、大概のことはどうにかなる。


人には、それくらいの能力が備わっているもの。


どんな人にだって…


だが、この能力を使い切れている人は、限りなく少ない。


おそらく、全体で考えると、多くて二割くらいだろう。


少なければ、一割にも満たないだろう。


なんたって、育つ過程で、たくさんの失敗を重ね、何度も何度も心を傷つけ、なんとかなると信じることができなくなっている人は山ほどいるから。


失敗することや心を傷つけることを怖れ、なんとかなると思えなくなる。


やったところで、どうにもならないのではないか、と思い込んでしまう。


無意識の内に、上手くいかなかった時のイメージがこびりつき、何かをしようとすると、つい思い出してしまう。


思い出すといっても、頭ではなく、身体が思い出してしまう。


危険を感じ、身体が硬直したり、ためらったりする。


なんとかなると信じたいのだが、それができないほどに心が荒んでいる。


自分を信じることができないほどに、心が荒んでしまっている。


だから、なんとかなる、と信じて行動に出ることができなくなる。


たとえ、その人には、なんとかできる力が備わっていても…


どんなに可能性が秘められていても、その可能性を自分が信じなければ、可能性はいつまでも開花しないもの。


いつまでも開くことなく、くずぶってしまうもの。


そのため、自分から動くことなく、誰かの後を追うように人生を歩んでいく。


誰かがいなければ、何もできない人生を歩んでいく。


その気になれば、なんとかできる力を秘めているというのに…


もちろん、誰かの後を追う人生を歩む道もある。


ただ、誰かの後を追う生き方というのは、感情の揺れが少ない。


何か上手くいっても喜びは少ないし、何かが上手くいかなくても悲しみも少ない。


責任を負う立場でもないし、リスクを負う立場でもない。


比較的安心でき、安全を感じることができる。


自分の身を保つ上では、素晴らしい手段。


けど、その手段を選ぶことによって、自分の個を失う。


自分の考えや感情を二の次にして、本来の自分自身を見失っていく。


しかも、そうして過ごした時間が流れれば流れるほど、本来の自分とはかけ離れていく。


なのに、当の本人は、このことに気づいていない。


そして、我を見失うと、何かを信じるどころではない。


もちろん、なんとかなる、と信じるどころではない。


だって、何かを信じるには、まず、自分を信じる必要があるから。


自分を信じることなく、何かを信じることなんて、そうできるものではない。


何かを信じている人は、自分自身をちゃんと信じているもの。


だが、自分を信じる、ということが、結構、難しかったりする。


なんせ、自分を信じる方法は誰も教えてくれないから。


いや、誰にも教えることができないのだろう。


なぜなら、自分を信じるというのは、経験や実感に基づくものだから。


そのため、経験や実感がなければ、自分を信じることには至らない。


よく、成功体験を積めば、自分を信じることにつながる、と言われている。


しかし、実は、これだけでは足りない。


大切なのは、成功体験を成功体験として認識すること。


もしくは、成功体験を一つずつ数えること。


すると、過去に、なんとかなった経験を自覚することができる。


自分でもなんとかなった経験がある、ということを思い出すだけでも、これからの活力につながる。


なんたって、あれがなんとかなったんだから、今回もきっとなんとかなると思えるようになるから。


新たな環境に踏み出す時、不安に苛まれることはよくある。


ただ、なんとかなると思えれば、それが支えとなって意外と突き進むことができるもの。


一方、何も支えがなければ、怖くて、踏み出せるものではない。


だから、過去の成功体験を認識する必要がある。


過去になんとかなった経験を自覚する必要がある。


こうしたことは、自分が思っている以上に大きな支えとなるんやから。


時折、自分には、過去に成功体験もなければ、なんとかなったこともない、と言う人がいる。


でも、そんな人は、滅多にいない。


だって、すべてにおいて上手くいかないことって、ムチャクチャ難しいから。


多くの人は、大概、何かで上手くいっている。


なんとかなっている経験をしている。


けど、それを自覚できていないだけ。


なんせ、成功体験やなんとかなった経験というのは、素晴らしくなければならないと思い込んでいるから。


人にも自慢できるような素晴らしいことを基準としているから、把握できていないだけ。


焦点を自分なりに上手くいったことに切り換えれば、大概の人は、上手くいった経験を持っているもの。


大学に受かったことも素晴らしい経験だし、恋人ができたのも素晴らしい経験。


就職できたのも素晴らしい経験だし、人に喜んでもらったことも素晴らしい経験。


こうしたことは、多くの人が経験しており、世間一般的には常識と認識されることかもしれない。


だが、たとえ、多くの人が経験していることでも、自分が良いと思えばそれは、素晴らしい経験となる。


他人と比べなければ、自分にとっての素晴らしい経験というのは、意外とたくさんある。


なのに、このことに気づかないんよね。


自分のマイナスなことばかりに焦点を当てる上に、自分と他人を比べ続けるから。


自分の良い点に焦点を当て、自分と他人を比べることを止めれば、自分を信じる材料くらいはいくつも見つかる。


なんとかなった経験だって、何個も見つかる。


こうしたことが支えとなり、新たな行動だってなんとかなる、と信じてやれるようになる。


何でもいいから支えがあれば、人は前に進みやすくなるもの。


ゆえに、自分の中に、支えとなるようなものを自覚することは重要。


なぜなら、それが、新たな行動につながるから。


しかも、新たな行動は、素晴らしい経験となると共に新たな自分の支えとなり、更に新たな行動へとつながっていく。


だから、なんとかなる、と信じて前に進むためにも、今の自分の支えとなるものを自覚しなよ。


自覚できれば、高い確率で前に進むことができるようになるから。


案外、そんなもの。



サコヤンの独り言

「なんとかなる、と信じて前に進むためには今の自分を支える何かが重要となる」