人は、必要と感じていることだけをやるようになっている。
言い換えれば、必要と感じないものはやらないようになっている。
たとえ、やった方が良いと頭で分かっていても、それを必要と感じていなかったらやれないもの。
また、素晴らしいことを誰かに薦められたからといって、それを必要と感じなければやらないもの。
自分がやることって、自分が必要と感じていることなんよね。
必要と感じていることならすんなりやれるのに、必要と感じないものは、やるとしても苦痛が伴うようになっている。
無意識の内に、自分に合うもの、合わないものを判断している。
自分にとって安心なのか、危険性があるのか感じ取っている。
人として素晴らしい能力。
だが、この能力は、時に過剰に働きすぎている。
なんたって、未知なることにも働いてしまうから。
未知なることというのは、当然のように知らないことだから、必要かどうかの判断がしっかりとできない。
でも、判断するとなると、必要ないものとして判断することが多い。
知らないからといって、やったことがないからといって、必要ないものとしてとらえてしまう。
必要ないものとして排除すると、少なくとも、傷を負わなくなる。
危険性を排除することができる。
そんな理由で、未知なるものを、やらない内から排除してしまう。
本当は、自分にとってものすごく必要なことなのかもしれないのに…
今までの自分の世界にないものって、認めることができていないんよね、受け入れることができていないんよね。
だから、疑ったり、警戒することから入ってしまう。
そして、この疑いや警戒が、やることから遠ざける。
しかも、遠ざけるから必要ないものとして判断することを助長してしまう。
何もしていないのに…
いつの間にか、必要ないものとして決めつけてしまっている。
こうして、自分の選択肢を狭め、自分の可能性を狭めている。
とはいえ、それをやっているのは自分なんよね。
自分で自分が成長しないような状況を作る。
こういう人は意外とたくさんいる。
残念ながら…
人は、今の自分の世界にないものは、基本、必要ないものとしてとらえている。
仮に、必要なものであれば、自分の世界に現れているはずだから。
必要ではないから、自分の世界に現れていない。
そうやって、解釈をしてしまう。
ゆえに、現れていないものに対して、偏った見方をしてしまう。
出会った時に、警戒してしまう。
でも、自分の世界に現れているものなんて、世の中のほんの一部分でしかないんよね。
むしろ、今の自分の世界に現れていないことの方がたくさんある。
けど、自分の世界に現れていないという理由だけで、排除してしまうのは、絶対におかしい。
未知なるものだからといって、何も知らないうちから排除して良いものではない。
排除するのは簡単だが、それでは自分のためにならない。
まずは必要なものとして受け入れる。
試す期間を取り入れる。
そして、合わなければ、手放せば良い。
どんなことであろうと、お試し期間はあっていいのではないか。
だって、第一印象で必要かどうかは分かるものではないから。
分からないものを感覚で排除するのは、すごくもったいない。
なんせ、排除するものの中には、必要なものが含まれる可能性もあるから。
よって、最初は自分にとって必要という姿勢を前提とすること。
決して、必要ないという姿勢で排除することが前提ではいけない。
この方が人生は好転していくものだから。
自分に様々な経験が蓄えられるはずだから。
ただ、無意識の内に必要ないものとして判断を下している場合もあるから要注意。
そういう時は、あえて意識して、必要なものとして判断を下すようにすること。
無意識に下した判断でも、それを意識すれば、無意識なものではなくなる。
すると、再び意識したことが自分の判断となる。
こうして、必要であるという状況を整えること。
ものすごく大事。
なんたって、無意識の内に必要ないと判断を下していると、どんなにやろうとしてもやれるものではないから。
やった方が良いと頭で分かっていてもやれるものではないから。
だから、深いレベルで必要なものとしてとらえること。
だって、人は必要と感じているものをやることができるんやから。
必要と感じていなかったものでも、意識を修正して必要なものとしてとらえると、それは必要なものとなりやれるものとなる。
そのため、やりたいことがあるのにやれない場合は、必要ではないと判断している場合が多いから、自分自身を振り返りなよ。
必要ではないと判断していたことに気づくと、その意識を修正するだけでやれるようになるから。
一度意識を修正することができるようになると、様々なものを必要なものとしてとらえることができ、色々なことがやれるようになる。
すると、自分の人生は大きく変わっていく。
案外、そんなもの。
サコヤンの独り言
「必要なものをやるようになっているから、様々なことを必要なものとして受け入れよう」